人間の心に潜む邪悪で黒い部分を示すことばがある。
他人の不幸は蜜の味!
これは事実なのかを確認するために医学的、心理学的な実験が多様に試みられた結果、ほぼ間違いないと言われている。
一例を紹介すると、
京都大学大学院医学研究科の高橋英彦淳教授は以下のシナリオを使って、妬みの感情をfMRIで観察しました(『なぜ他人の不幸は蜜の味なのか』高橋英彦著)。
【被験者】
●主人公(男)学業は平均的男子大学生、野球部で補欠、貧乏で寮暮らし、恋人なし
●一郎学業優秀、野球部でエース投手、経済的に豊か、女子学生にモテる
●花子学業優秀、ソフトボール部でエース投手、経済的に豊か、男子学生からモテる
●並子学業は平均的、ソフトボール部で補欠、男子から人気なし
*女性の被験者の場合には、主人公を女性として性別を入れ替えたシナリオにします
ご想像のように、主人公は一郎を最も妬ましく思い、次に花子を妬ましく思いました。並子は妬む理由がないため無関心でした。主人公が一郎や花子のプロフィールを見た際に、脳で活動した領域は、前頭葉の前部帯状回の上の部分でした。この部分は、身体の痛みの処理に関係している部位。つまり、「妬みとは心が痛いことである」ということができるかと思います。
このシナリオを使ったfMRIの実験で、「他人の幸福は飯がまずい」ということが、人間の本性であることがはっきりしました。
(中略)
人間には妬みがあります。そして、妬みを感じると心が痛いため、それを和らげるため自分の社会的地位を示すために衒示的消費(誇示的消費、みせびらかしの消費)を衝動的に行いがちです。
他人にはいくらでも嘘をつけるが自分にはつけない。
自分の心の中に、他人の不幸を喜ぶ気持ちがあることに気付いた人はたくさんいるだろう。
だからだろうか、週刊誌やワイドショーに代表されるスキャンダルネタが好きな人は大勢いる。
身近な人だと生々し過ぎて表立って話題にし辛くても、有名人や芸能人のスキャンダルだったら遠慮なく話題にできるだろうし、その際に正義を振りかざすのも定番だ。
そんな他人の不幸は蜜の味の世界に変化が訪れているという話がある。
二つの事情が関係してるらしい。
一つは、証拠や裏付け取ることと紙一重のところに名誉毀損があったり、復讐を恐れて証言を拒まれたりすることが増えているので記事にするには不十分な状態なので情報が表に出づらくなっているという事情。
有名人の話ではなく身近な誰かの話であっても、言い出しっぺにはなりたくないという人が増えているのだ。
スキャンダルのスクープは、少々あやふやでも最初に言うことに価値があったような気がするが、その価値観に変化が出ているようだ。
二つ目の事情として、他人の不幸を喜ぶよりも正義や正論を振りかざす方が快感が大きいと感じる人が増えているらしいことがある。
正義や正論を好む人達は、他人のスキャンダルや不幸は興味がないか、あってもその順位が低いので、情報としての需要が下がってきてるらしいのだ。
他人の不幸が蜜の味がするのは、相対的に自分が幸せだと感じられるからかもしれないが、そもそも今の自分がどこから見ても不幸ならば他人の不幸はなんの慰めにもならない。
そういうことを感じる人が増えていることも他人の不幸の需要減に繋がっているのだろう。
他人の不幸を喜ぶという気持ちはある程度の余裕があるから成り立つことで、余裕がなければ他人の不幸はちっとも楽しめないのだとすると深刻な理由だという気もする。
あなたは他人の不幸で、飯が美味いと感じますか、それとも不味いですか?