明らかな嘘で世間を騙しミスリードするのがフェイクニュース。
現代では世界は一瞬で繋がるので、フェイクニュースの賞味期限は短いが、それでもミスリードされる人の数は少なくない。
1999年の7月に人類は滅亡するという解釈を掲載した「ノストラダムスの大予言」が発売されたのが1973年。
ベストセラーになり3ヶ月で100万部を突破し、1998年8月時点で209万部450版だったとwikipediaには書いてある。
ノストラダムスの大予言は、日本人の終末思想観に大きな影響を与え、オウム真理教をはじめとする新興宗教にも影響を与えたと言われている。
ノストラダムスの大予言なんて、真実のわけないと思いながらもどこかで信じてしまう気持ちを持つ人が多かったから大ヒットしたのだ。
1973年が現代のような環境だったら、ノストラダムスの大予言はフェイクニュースと言われるか、単純な創作娯楽の域を出ず大してヒットすることもなかっただろう。
2011年の東日本大震災は、報道機関が撮影した映像以外に多数の個人が撮影した映像があり、それらが世界中に配信されたので地震の恐怖や津波の恐怖を如実に伝えていた。
しかし、体験した人はというと東日本の人だけで、西日本の人は報道で知ったわけで体験したわけではない、しかし映像が豊富だったので擬似体験には十分だった。
時代が違えば、東日本大震災を体験しなかった人に地震や津波の凄まじさを伝えてもちっとも凄さは伝わらなかっただろう。
中にはフェイクニュースだと感じる人もいるだろう。
あるいは、伝えてる人を「大袈裟だ」と感じるかもしれない。
東日本大震災は869年の貞観地震の再来だと言われている。
映像など無く、古文書が伝えるだけだが1000年以上経つと使ってる文字も表現も大きく変化し、読み解くことは一般人には難しいものになる。
地震には一定の周期があり、津波を伴うことは広く知られていても貞観地震の記録だけでは東日本大震災を予見しそれに備えることは不可能だったかもしれない。
そういう意味ではノストラダムスの大予言の逆で、真実の記録なのにそれに相応しい扱いは受けなかったことになる。
東日本大震災の記録は豊富なデジタルデータとして残っているが、次の大地震と大津波が訪れる時代にきちんと届けられるのだろうか?
東日本大震災からの復興は福島第一原発の問題や風評被害という人災もあり遅れているが復興を目指している。
壊滅的な被害を受けてもそこから立ち直る動きがあるかと思えば、世界に目を向けると壊滅的な被害など受けてないのに消えてしまうものもある。
ピラミッド建設など高度な技術を持っていたはずのエジプト文明は突然消えたと言われている。
ここから先は噂話みたいなもの。
砂漠の地であるエジプトに文明が発生したのはナイル川の氾濫のおかげだと言われている。
氾濫によって肥沃な土がもたらされることが文明を支えたと言われている。
文明が消えるほどの大災害や戦争があったという記録も無い。
その結果出てくる仮説の一つに、ナイル川が氾濫しなくなったからというのがある。
ナイル川の氾濫がもたらす恩恵を受けられなくなったことでエジプト文明は突然崩壊したという説がある。
この話を聞いて感じることが二つある。
ナイル川が氾濫しなくなったということは川の水量が減ったということで、水の循環に大きな変化が起きたということを意味するのかもしれないというのが一つ。
もう一つは、災害は被害を生むので今生きてる人からは歓迎されないが、歴史を振り返るとあの災害のおかげででと言えることもあるのかもしれない。
地球温暖化という問題の恐ろしさは、水の循環を変化させることにある。
そういう意味では、エジプト文明を消滅させた時期と今の地球環境は似ているのかもしれない。
水の循環が変化すると、水害が増える地域と水不足になる地域が増えてくる。
同様に地球温暖化に起因する温度の上昇は台風やハリケーンや集中豪雨などの被害をもたらすことが増えている。
地球温暖化など起きていないとするトランプ大統領が発することばがフェイクニュースなのか?
あるいは、今顕著に目立つ自然現象を地球温暖化のせいにすることがフェイクニュースなのか?
フェイクニュースとは幽霊みたいなもの。
幽霊の正体見たり枯れ尾花!
おもしろく感じる話には感情が動く、感情が動くと好意を感じることが多くなる。
好意を感じると信じたくなる。
信じたいという気持ちが、フェイクニュースを選ばせる。