違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『繰り返し』の影響!

作曲のことを話題にしてるサイト に次のようなことが書いてあった。

 

リスナーは潜在的に曲構成を把握しながら曲を聴いています。

そのため、楽曲に構成面でのわかりやすさを盛り込むことで曲は捉えどころのあるものとなり「親しみやすい曲だ」とリスナーに認識されます。

ここでいう「構成面でのわかりやすさ」とはすなわち「繰り返し」と「規則性」を指しています。

メロディの構成、コード進行、ブロックの小節数などに繰り返しと規則性を設けることで、それらがわかりやすさを生みます。

 

 

具体的な繰り返しの展開手法といて挙げられていたのが次のこと。

 

  • 同じメロディをそのまま繰り返す
  • メロディの音階を変えてリズムのみを繰り返す
  • メロディを繰り返しながらコードは展開させる
  • コードを繰り返しながらメロディを展開させる
  • 数小節の構成を二回繰り返してAメロとする
  • 曲の最後にサビのブロック繰り返す

 

 

ここからは音楽からは離れていくが、この繰り返しの手法は日常生活の様々なところに用いられている。

 

特に広告宣伝に関して顕著だが、その広告宣伝に裏があればプロパガンダになるし、計画的な悪意があれば洗脳にもなる。

 

例えば個人ブログの場合、一人の人間の守備範囲なんてたかが知れてるので似たような話題に偏ることはしょうがない。

 

この似たような話題に偏って、「ああ、それ前にも読んだ気がする」というのは、わたしの中では繰り返しには属さない。

 

一つのエントリーの中で、同じことを繰り返すことが繰り返しだと位置付けている。

 

 

今日書くことは、以前から思っていたことだけど上手く纏まらなかったことについて。

 

 

ある事件が起きた場合、きちんとしたニュース番組では一度しか説明しないことをさらに繰り返す場合には別にゲスト解説者や専門家を交え、課題や問題点を浮かび上がらせようとしてることが伝わる。

 

それに対して、同じ事件をワイドショーや特定のテーマを扱う報道番組では、番組内で何度も「それ、さっき聞いたよ」ということを繰り返す。

 

その繰り返しは、冒頭に紹介した作曲手法における同じメロディの繰り返しと共通するように感じられる。

 

同じメロディを繰り返すように同じシーンが繰り返されれば、そこに感情が引き寄せられるという効果が高いのかもしれない。

 

正義を振りかざして怒りを露わにする人が増えているが、このような情報の繰り返しで少しずつ調教されるように洗脳されているのかもしれない。

 

受験勉強を経験するとインプットを繰り返すことで記憶を定着させるということを覚える。

 

そう言えば、こんなことばもあったなと思い出す。

 

『大事なことなので二回言いました』

 

 

2008年のCM。

 

 

他人が書いたものを読む場合でも繰り返しが多用されてると、なんとなく「ああ、そこをアピール(強調)したいのかな」と自然に思えるが、じゃあ自分の文章に繰り返しを盛り込もうとすると心理的にハードルが高いことに気付く。

 

「それ、さっき書いたから繰り返すのは読んでる人をバカにしてるみたいだな」と思えてしまうし、書いてる自分もバカに思えてしまうのだ。

 

しかし、学校の先生のような立場で大勢に教えたり指導した経験を持つ人だと、繰り返し伝えないと伝えてないのと同じことだということを体験として理解していると、繰り返しにメッセージが籠ることになる。

 

 

ワイドショーなどで繰り返し使われるシーンがあることに気付いたら、その意図を勘ぐってみるのも楽しいだろう。

 

散々見せられたあおり運転のシーンでは、大勢の人が正義を振りかざして怒っただろう。

 

幼い子供が親から虐待された事件で流れる子どもの写真を見ては、胸が張り裂けんばかりの心の痛みを感じるだろう。

 

わたしたちの感情は、繰り返される情報で上に下に右に左に揺さぶられてばかりだ。

 

そんなことが続くと、自分の心を守るために鈍感になるか、鈍感になれなければ心の病に陥るだろう。

 

繰り返される情報は、心地よいメロディと紙一重で悪影響をもたらしているかもしれない。

 

忍び寄る繰り返しには注意しよう!