違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

サバイバルのススメ!

2019年の台風15号がキッカケで発生した千葉の大停電や2018年の北海道胆振東部地震での停電、そして2011年の東日本大震災がキッカケでで発生した電力不足で、現代人がいかに電気頼みの生活を送っているかが明らかになった。

 

インフラというのは使えて当たり前で、使えることに日常ではあまり感謝しないが、使えなくなると不便なだけでなく不満が大きくなる。

 

不便なことも短時間であれば許容範囲に収まっても長時間になると受け入れ難いものになる。

 

そんな不都合の数々を整理してみた。

 

また、そんな不都合に対処するためにはサバイバル能力(知識+体力+行動力)が必要になるという話も付け加えたい。

 

 

不都合は、生活の身近で起きるから不都合なのであって、自分の行動半径や生活圏の外で起きる分には深刻さはまるで無いに等しい。

 

しかし、不都合の擬似体験はニュースや報道やSNSを通じて味わうことができる。

 

2011年の東日本大震災の直接の影響は全く無かった九州でも不都合は発生していた。

 

 

 

なぜ九州の人々が買い占めに走ったかというと次のようなニュースを見せられていたから。

 

 

買い占めが起きたというよりも供給が途絶えていたのだ。

 

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東日本大震災では電力に対する疑問も現れた。

 

それは電気は貯められないということに関しての疑問だった。

 

エネルギー業界は電気の独り勝ち状態が続いていたが、東日本大震災がキッカケでオール電化住宅に負の関心が強まったのだ。

 

GoogleTrendsで検索可能な2004年以降でオール電化を見ると、

 

GoogleTrends「オール電化」2004年以降

 

 

2011年3月以前はポジティブな関心を示していたのだが2011年3月の関心はネガティブなものなのだがグラフだけ見てもそれは分からない。

 

電気が停まると電車も動かなくなるのは当然だが、信号も動かないのでガソリンがあったとしても車も都市部では事故や混乱で完全に麻痺するはず。

 

実際には上のツイートで引用したように大規模に電気が停まるような場合は輸送が機能しないので供給を交通での輸送に頼っているものは全滅する。

 

運がよければ意外とタフに機能するのが都市ガスで敷設された配管がダメージを受けてない限り使える、このことが分かったのでオール電化に急ブレーキが掛かったのだ。

 

 

東日本大震災(実際には福島第一原発の被災)では電力不足が課題になったが、停電の長期化は起きなかったので大きな問題として報道されなかったような気がするが、世の中には電気に命を預けてる人もいる。

 

今年の夏の千葉県で起きた大規模で長期化した停電では東日本大震災を越える問題も起きていた。

 

台風15号「大停電」で考える、人工呼吸器患者の生命を守れるか

幸い、今回の台風15号では、停電による人工呼吸器使用者の健康被害は把握されていない。驚くべきことである。

 

停電時の備えに対する関心が高まったのは、1995年、阪神淡路大震災のときだったという。停電で人工呼吸器が使用できなくなり、文字通り「呼吸ができない」状態に陥った患者のために、家族が交代で1日半、手動型の呼吸器(アンビューバッグ)を動かし続けた。このとき「人口呼吸器の電源や、手動型呼吸器の備えが必要だ」と認識されたという。

その後も、日本は復旧までに時間のかかる大規模停電を、何度も経験した。2004年には、新潟県中越地震があった。そして2011年3月11日、東日本大震災が日本を襲った。

 

 

金沢さんは、経験を踏まえて、予備バッテリーや発電機に加えて「電気を使わない方法」が重要だという。手動の呼吸器や足踏み式の吸引器があれば、停電が直ちに生命の機器に直結するわけではない。しかし、それらを動かすためには人手が必要だ。とはいえ、ムダや余裕を削りに削ってきた結果、ヒューマンリソースの余裕が日本では全国的に失われている。

 

 

大規模災害の度に現場では教訓を得てるのだが、そんな教訓は必ずしも受け継がれてるとは言い難い。

 

人生100年時代、死ぬことよりも怖い長生きなどと言われ続けていると、「何がなんでも生き抜く」というサバイバルスピリットを忘れがちだが、大災害やこんなはずではなかったということが発生するとサバイバル能力が試されるのだ。

 

 

1973年小松左京の日本沈没が出版されベストセラーになり、ドラマ化映画化された。

 

おそらく日本沈没に刺激されたのだと思うが劇画ゴルゴ13でお馴染みのさいとうたかお氏も1976年からサバイバル_(漫画)を描いた。

 

突如発生した世界的な地殻変動による巨大地震に遭遇して生き残った少年・鈴木サトルが、過酷きわまる環境で生き抜こうとする姿を描く。さいとう・たかをが描く少年漫画の代表作の1つである。

 

現代日本で普通の生活をしてると生きることと死ぬことは正反対の概念だと感じてしまうが、サバイバル環境下では生きることと死ぬことは表裏一体、つまり両者の間に存在する価値観は全く違ったものになるだろう。

 

「あなたの敵は?」と聞かれたら、

 

現代日本で普通に生活してるとその答えは、

 

  • ライバルや競争相手
  • 嫌いな人
  • 考え方が違い過ぎる人
  • きついこと、汚いこと、苦しいこと
  • 暑さ、寒さ、虫

 

 

サバイバル環境下では、

 

  • 自分の命を狙う相手(人や野生動物)
  • (牙を向いた)大自然

 

などと答えるだろうか。

 

 

普通に生活してる中で好き嫌いの感情を揺さぶられる出来事の多くは、サバイバル環境下ではどうでも良いことばかりかもしれない。

 

相手が人であれば、好き嫌い以前に協力せざるを得ないだろうし、どうしても許容できなければ関わらなければ良いだけだし、危害を加えてくるならばそれは明確な敵になる。

 

自然環境に対する不満は持ってもなんの意味もないので許容するしかない。

 

世間で言われるアウトドアにはサバイバル要素を感じないが、探してみると野蛮ではないが本格的なものがありました。

 

清水国明さん今はこんなこともやってるんですね。

 

ありが島は、清水国明が代表をつとめる、野外研修の国内NO.1の「ソトイク株式会社」の研修フィールドです。

日頃安全で快適、恵まれすぎた文明生活の中でいつの間にか忘れてしまった「生きるチカラ」を、逞しくよみがえらせます。

生きるという共通の目的のために仲間と力を合わせて、協働作業を行います。

その過程で必然的にコミュニケーション、リーダーシップ、チームビルディングの大切さを学びます。

忍耐や歓喜を仲間とともに味わい、ゴールである無人島からの脱出に成功したとき、見違えるほどの強いチームが出現します。

全員が集中して力を合わせなければ生命にもかかわるという真剣度が、快適な研修施設などでは到底得ることができない、無人島研修ならではの抜群の成果をもたらします。

 

 

 

サバイバルは、そこにあるものを活用することが大事で無いものをねだってもしょうがないが、工夫すれば代用できるものは作れるかもしれない。

 

そこにあるものを活用するためには知識が必要になり、知識を活かそうと思ったら体力と行動力が必要になる。

 

サバイバルは、いきなり本番を求められると何もできないだろうから、まずはイメージトレーニングから始めよう!

 

ある日突然余儀なくされるのがサバイバル!