違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

火加減や茹で加減に拘るのは味に拘ってるようで、実は村社会的なマウンティングを示してる!

境目はいつ何処で生じるのか?

 

最近の風潮として麺類特にうどんや蕎麦はコシがあることが重視されるように感じる。

 

コシのある強い弾力の麺を食べると感想は「コシがあるね〜」としかならない、味そのものの評価がどこかに行ってしまうように感じていた。

 

そんなコシのある麺は、コシがあると言われると評価を上げるが、食べた人が「コシがあるね」や「喉越しが良いね」と言ったからといってプラスに評価されたとは限らない。

 

本音はこうだったかもしてない。

 

 

このツイートを見て冒頭の『境目はいつどこで生じるのだろうか?』と思った。

 

麺の茹で加減を注文できる博多地元の博多ラーメンでは最近は硬い麺を頼むのが通の作法として定着している。

 

博多ラーメン 麺の硬さ

 

https://kw-note.com/food/ramen-katasa/

 

 

 

硬い麺やコシのある麺を食べる姿には若々しさや力強さや勢いが感じられるが、それが美味しいのか?と問われると結構微妙な感じがする。

 

 

ラーメンは硬い麺が好まれる博多は、実はうどんも有名でラーメン以上にうどんも好まれるが、うどんの麺はフニャフニャの柔らかい麺が伝統的だ。

 

実は、硬い麺が好まれるラーメンと柔らかい麺が好まれるうどんは味や食感の好みを反映してるのではなく、由来を遡ると、腹が減ってるから早く食べたいというせっかちな博多っ子の性格が関係してるのだ。

 

ラーメンの場合は早く食べたいから麺の湯で時間を早く切り上げさせているだけであり、うどんが柔らかいのはお客に早く出せるように前もって麺を茹でているからなのだ。

 

それがいつしかラーメンに関しては硬い麺を頼むのが通で柔らかい麺を頼むのが素人みたいになって独り歩きをしてるのであって、決して味に対するこだわりではないのだ。

 

そういえば、肉の焼き方もうるさい人はたくさんいるし、鍋奉行なんて言われる人種も多そうだ。

 

茹で加減や火加減や焼き加減、人一倍のこだわりはおそらく味を求めてではないような気がする。

 

これはこれで、社会によくあるマウンティングの一種で、人間関係や力関係や上下関係を反映してるだけの極めてムラ社会の日本が残ってるだけに思える。

 

食べ物に対する火加減や焼き加減の好みの違いは観察するとおもしろそうな気がする。(お風呂の湯加減も当てはまるかも)

 

嫌いや苦手は別にして、火加減や焼き加減や茹で加減に拘る人は面倒臭い人が多いが、そういう人はマウンティングによる示威行為を展開してるだけかもしれない。