違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

全ての情報は『編集』されている!

テレビのバラエティ番組を見てると、『編集』という行為はでっち上げや捏造と紙一重のように表現することが多いので、世間は『編集』という作業を軽視しがちだが、映像作品の場合質を決定付けるのは『編集』次第なのだ。

 

 

真実を描いているだけのドキュメンタリーですら編集は重要なのだ。

 

 

真実と事実は同じだと思いがちだが、事実の時系列を並べ替えて編集したり、引用する事実と引用しない事実を設けたりすることで、嘘はついてなくても真実から離れてしまうことがある。

 

編集は今や全ての分野で行われ、情報として流通している。

 

広い意味で編集する側にはモラルが要求され、観(見るも読むも含む)る側にはリテラシーが求められる。

 

 

そういう意味では編集されたドキュメンタリーは、もはや真実ではないなどと言う意見もあるが、味気ない無編集の時系列の事実は時としてただの退屈に過ぎないことも一方の真実という悩み深さがある。

 

 

発信されるほぼ全ての情報は編集されている。

 

編集された情報をどのように受け取るかは、受け手のリテラシー次第となるので、結果として情報の解釈は全ての分野でエンターテインメント化することになる。

 

絶対的な真実というのは概念上のものになり、相対化、分散化された自分にとっての真実というものが増えていくことになる。

 

そんな相対化、分散化する真実の存在が増えていることを感じさせるツイートがいくつかあった。

 

※ツイートの内容に賛同してるわけではありません。

 

 

 

 

 

 

 

上記のツイートの編集された事実とは、

「加工が行われたのは、放送した投球シーン全31球のうち7球で、投手がボールをリリースした瞬間からキャッチャーミットに収まるまでの約0.5秒間について、映像のスピードを実際よりも2割程度速くしていました」と説明。

 

 

引用したツイートは、世間では良くないことが起きていると言いたくて引用したわけではない。

 

 

言いたいのは、発信される情報はほぼ全て編集されている現在では、情報を受け取る際にまずはエンターテインメントとして受け取ることが大事ということ。

 

決してその情報に一喜一憂してはいけない。

 

そして、どうしてもその情報をスルーできなければ考えるべきは、

 

  1. 編集の基になった事実は何だったのかを感じ取ること
  2. 背後で施されたであろう編集の意図を感じ取り読み解くこと

 

「あっ、ズラ被ってる!」、「きっと整形してる!」と気付くのは違和感があるからだ。

 

簡単に見破れるものはそもそもお粗末なものが多いが、出来が良ければ簡単には見破れない。

 

同様に、初めて接する情報に施された編集には騙されやすくなる。

 

施された編集に気付くためには、興味ある分野の情報には普段からアンテナを張っていなければいけない。

 

興味のない分野の情報を判断しなければいけない時は、時間を掛けれれば調べることができるが、現代は即断即決を要求することが多い。

 

翻って考えると、即断即決を要求する相手には要注意だということだ。

 

 

 

 

 

情報に編集が施されていることに気付く前に感じる違和感は、その情報の周辺の相場を知ってるという相場感覚があればこそ感じ取れるもの。

 

 

 

情報に施された編集を見抜くためには相場感覚が大事だが、相場感覚は急には身に付かない。

 

急かす人とは付き合ってはいけない。