違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『嫌い』や『苦手』からは逃げても良いのか?

嫌いなことや苦手なことは、立ち向かった方が良いのか、それとも避けたり逃げた方が良いのか?

 

『こと』と書いたが、その中には『モノ』や『人間関係』も入っている。

 

 

 

カメラに興味を持つようになると、それまで気にしてなかったことが気になるようになる。

 

自分の目に見えてるものや景色とカメラが捉えたものや景色との差であり違いだ。

 

それは画角や色彩の違いだけでなく、写真には目には見えてなかったものが写っていたりするからだ。

 

反対に、目に映っているのに写真に捉えられないものもある。

 

実際に見ているのに見えてないものがあるということに気付くと、これは『目』に限った話ではないだろうなと思えてくる。

 

同じ景色を見ていれば、自分と他人が見てることに極端な違いは無いはずだと想像できるが、景色を『世の中で実際に起きてること』や『これから起きるであろうこと』まで範囲を広げると、『見えるもの』の違いや差は極端に違っていても何の不思議もない。

 

 

インターネットが普及する前だったら勉強したり本を読むことで差が付いただろうし、親や友人や先生として誰と知り合うかで差が付いただろうが、インターネットが普及するとそれに加えて、どんなコンテンツやアカウントと知り合うかも重要になる。

 

結果的に、人は大きな偏り幅の中に分布するようになったはずだ。

 

養老孟司先生が「話せばわかるなんて嘘」と著書『バカの壁』で言ったように、会って話しても会話が噛み合わない人は増えてるかもしれない。

 

 

さて、本題に戻ると、嫌いなことや苦手なこととよく似たものに『困難なこと』があることに気付く。

 

困難なことにもピンからキリまであるだろうが、それが練習や繰り返しの学習で克服できる種類のものならば真正面から取り組んだ方が良いだろう。

 

努力しても自力で克服するのは難しい場合に、他人の助けや運の助けがあれば期待できそうな場合は、他人の助けや運を呼び込む力が求められるが、この辺は正解があるようでないので悩ましいし、この辺を巡って詐欺的な落とし穴も多く仕掛けられている。

 

この『困難なこと』は除いて、『嫌いなこと』や『苦手なこと』には、どう向き合うのが良いのだろうか?

 

 

伝統的には、克服を目指すべきで逃げてはいけないと教えられることが多かったように思える。

 

限られた環境の中ではリソースも限られているので、選り好みすると選択肢だけが狭められたからだろう。

 

翻って現代では、一見環境が広がったような印象があるが、これは人によって受け止め方が違うはずだ。

 

ただ全ての人に共通して選択できるリソースは大幅に増えているはず。

 

贅沢なもので、選択できるリソースが増えると、『たくさんあるけど欲しいものだけが無い』となりがちだ。

 

『好き』や『欲しい』をテーマにして選択しようとすると、どれも違って見える時は『嫌い』や『苦手』をテーマにして、それを外して徐々に選択肢を絞る方が良いかもしれない。

 

『好き』や『欲しい』で選ぶ場合、実はかなり影響されるのが「他人からどう見えるか」という雑念だ。

 

それに対して、『嫌い』や『苦手』には強く自分自身の本音が出てくる。

 

どんなに給料が高くても周りが喫煙者だらけだったら耐えられない人は多いはずだ。

 

好きな仕事であっても、周りに苦手な人がいて接触を避けられなければ大きなストレスになる。

 

そんな環境で、禁煙運動し社内禁煙を実現しようと動いた方が良いのか、苦手な人よりも早く出世を目指すことが良いのか、そんなことしないで環境を変えることを考えた方が良いのか?

 

何をどう選んでも必ずトレードオフは付いて回る。

 

悩みや心配を抱えてる時には、今の自分の環境しか見えなくなってることが多い。

 

しかし、手の届く範囲にきっと今の自分には見えてない環境がある。

 

 

あなたというレンズにはどんなモノや景色が写っているのだろうか?