いつの世も常に弱肉強食だが、求められる強さや、発揮すると有効な強さは時代とともに変化している。
腕力や武力の強さであったり、知力や権力だったりもする。
これらは複合的に絡んでいるので、決して一つの強さが万能というわけではないが、弱肉強食の世の中を渡るために多くの人が自分なりの強さを身に付けようと懸命だ。
弱肉強食を生み出す背景には競争や争いがある。
競争や争いがあるところには何があるか?
ストレスだ。
ストレスと肩コリはよく似てると思う。
あると言えばあるのだが、無縁に見える人もいる。
また、その痛みの程度も千差万別のように感じられる。
複合的な要素が絡み合って生まれ形作られるのがストレスで、ストレスの正体は簡単には解き明かせない複雑さがあるはずだが、現代はストレスを単独のテーマとして扱うようになっている。
そして、万能薬のようにメンタルの強さが求められ評価されるようになっている。
メンタルの強さの反対語は、心が傷つくだ。
メンタル強い知り合いがポツッと「メンタル強いからって傷つかないわけじゃないのに、わかってもらえない。何を言ってもいいって思われてるみたいで、酷いこと言われる」って言ってた。みんな人には優しくしよ。
— ナイトウミノワ (@minowa_) November 23, 2019
このような話を聞くたびに思い出す話がある。
出典も、いつ聞いた話かも思い出せない話で、検索しても「ああ、この話だ」という話には出会わない。
こんな話。
『世界で一番強い人とはどんな人か?』、このような問いを立て研究を始め調査が行われた。
仮説として、
- 体を鍛えに鍛えてる人
- 格闘技の達人や軍人や警官や消防士など
- 超天才的な頭脳の持ち主
など、すぐに頭に浮かびそうな種類の人達がリストアップされたが、調査にあたってはさらに条件が絞り込まれ、最も過酷な環境に耐えうる強さと定義し、過酷な環境として戦争捕虜の体験者がそれに当たると位置づけ、生き残っている戦争捕虜の体験者を対象にした調査が始まった。
多分アメリカでの話。
調査を始めてすぐに分かったのが、捕虜体験者の多くは心を病んでいて、その後の人生にその体験を引きずっているということだった。
強いであろう人として仮説を立てていた、鍛えてる人や頭が良い人というのはことごとく外れたが、ごく少数の人だけが捕虜体験後の人生に心の面で全く悪影響がない人達がいた。
彼らの、生い立ちや趣味嗜好や人間関係や家族関係や価値観などを調査した結果、全員に当て嵌まるたった一つの共通点があったのだ。
それは、
些細なことに喜びを感じられる。
という共通点。
捕虜として過酷な作業に従事させられている間も、何かしらの喜びのネタを見つけていたのだ。
例えば、「青空が見えて気持ち良かった」や日陰の塀の隙間に雑草が生えているのを見つけて「お前も頑張ってるな、俺も頑張ろう」と本気で思えていた人達だったのだ。
メンタルの強さを語る時に、強いに重きを置くと大事なことを見失うような気がする。