違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

予言もさまざま!

自動車が存在しない時代に自動車を想像していた人が、その思いを記したものを残していれば予言が当たったと言えるだろう。

 

そして、道路の舗装やモータリゼーションの発達が都市計画や街づくりも大きく変わることまで想像できていれば、予言を超えて素晴らしい洞察力だと言えるだろう。

 

現在から未来へ向かう道を想像すると、道は無数にそして無限に存在するように思える。

 

しかし、同じようなプロセスを経て辿り着いた現在から過去を振り返ると一本道とは言わないまでもシンプルな姿しか見えない。

 

選択肢がたくさんあったことなど誰も覚えていないのだ。

 

日本では昭和までは、周りに知らない人ばかりがいる場所で一人で話し出すというのは街頭演説くらいだったが、携帯電話が普及するとマナーの問題はさて置き、人前で自分のことを話すことは珍しくも何ともないことになってしまった、ただ不思議なことに周りの人に話しかけてるわけではないが。

 

携帯電話やモバイルの発達で、どこでもオフィス化という概念が生まれ、カフェで仕事をするというスタイルも珍しくなくなったが、そう言えばカフェってなぜこんなに増えたんだろうというくらい増えたが、こういうことを予言していた人はいるのだろうか?

 

沢木耕太郎のエッセイ集の中におもしろい話があった。

 

1980年台前半の話で要約すると。

 

〜〜以下要約〜〜

 

久しぶりに香港のペニンシュラホテルのロビーに行って驚いた。

 

ティールームで紅茶を飲もうと思ったら、多くの席が異様な機器をテーブルに置いた男たちに占拠されていた。

 

それが初期の携帯電話で男たちはペニンシュラのティールームを事務所がわりにしていた。

 

こんなものは香港だから許されるのであって日本では流行らないだろう。

 

〜〜要約ここまで〜〜

 

 

 

 

 

日本で携帯電話が普及し出すのは90年台の半ばを過ぎてから、カフェが事務所がわりに使われるようになるのは21世期に入ってからで、カフェで仕事をするスタイルをノマドと呼び出した時期はいつからかとGoogleTrendsで調べると、

 

GoogleTrends『ノマド』2004年以降

 

 

ピークは2012年の4月。

 

世界の最先端の人が高級ホテルのティールームをオフィスがわりにし始めてから日本人の多くがカフェで仕事をすることに違和感を感じなくなるまでに30年かかっている。

 

Wikipediaによると携帯電話の構想は、電話機の実現とほぼ同じ時期に生まれたとある。

 

電話の誕生は1870年台。

 

日本で電話の普及の兆しが現れたのが1950年台。

 

一部の国で携帯電話が事業化されたのが1980年頃。

 

予言から予言の実現までには大きな時間差があるので、予言した人は予言の実現を知ることなく世を去っているのだろう。

 

 

今現在、すでに予言され実現に向かってるものもあれば、予言されただけで今後どうなるかは未知数のものもあるだろう。

 

一つだけおもしろそうな予言を紹介すると、

 

 

 

つまり、言葉では伝わらないけど、写真で伝わるものはちょっとマシ。写真でも全然伝わらないけど、動画で伝わるものはもっと良い。そんで最強に良いのは、言葉で全然伝わらない、写真でも伝わらない、動画でも一切伝わらない。けど、体感するとハンパないものが一番良い。まあ、ただそれをみんなした方がいいとは思ってないけどね(笑)。

 

 

 

非言語の大波を感じることはできるのか?

 

予言の実現に向かっているのだろうか?

 

予言されてるだけの段階では、言語明瞭でも意味不明。

 

 

予言を聞いて。『ああ、それ良い!』と思えるものは多分大したことないかもしれない。

 

大ボラと名予言は紙一重かもしれない。