違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

変化した群衆心理には共通するベクトルはない!

多勢の人がいっせいに同じ行動を取ることで発生する群衆や行列には、勘違いさせる力がある。

 

それでもあなたは帰りますか? 帰宅困難者「群衆雪崩」の危険

個人レベルでは、第一に、人が多そうな場所に行かないことが大事。情報があるのではないかとターミナル駅に人が集まることが予想されるが、絶対に行ってはダメです。

 

 

 

これらに共通してる心理が正常性バイアスと呼ばれるもので、分かりやすく言うと『赤信号みんなで渡れば怖くない』だ。

 

 

何も起きないのは危険が排除されてるのではなく、たまたまだ。

 

 

群衆や行列が作り上げる錯覚が正常性バイアスで、典型的な群衆心理。

 

 

さて、写真家で『群集』をテーマの一つとして扱っているのが土田ヒロミさんだが、土田さんは写真集の中でおもしろいことを言っている。

 

土田さんの写真集で群衆をテーマにしたものが2冊ある。

 

1990年に出版された『砂を数える』は、1976年〜1989年の白黒の写真集。

 

2005年に出版された『新・砂を数える』は、1995年〜2004年のカラーの写真集で、この写真集には『砂を数える』の写真も掲載されている。

 

1989年は昭和天皇崩御の年。

 

土田ヒロミ 写真集『新・砂を数える』

 

  

 

土田さんの目には、1989年以前の昭和の群衆にはベクトルが感じられたらしいのだ。

 

社会学的な、あるいは心理学的な分析をしたのではなく、写真を通して見える群衆の様子にベクトルが感じられたらしいのだ。

 

その最後が昭和天皇の崩御の時らしい。

 

 

その後、バブル景気が崩壊すると世の中がバーチャル化に向かい出したように感じたので、それを機にカラーで群衆を撮影し始めたのだ。

 

実際に写真集で見比べると分かるのだが、色の違いや人々の装いの違いだけでは説明が付かない変化が感じられるのだ。

 

土田さんは『新・砂を数える』の後書きにこう書いている。

 

しかし、それまでの「群れ」とは変質してきている「群れ」のかたちに気付き出します。一つのベクトルの方向へ動くことがなくなった群れ、互いに距離をとって群れる姿が見えてきたのです。

 

(中略)

 

そんな中、自分の表現が予測し得なかった展開を見せていきました。それが『新・砂を数える』です。

 

 

 

興味のない人が外野から見てると同じ種類の人に見えても、ベクトルが違うということに現代は溢れている。

 

 

 

 

 

 

何でもありに思える芸術の世界ではベクトルが問われる、だから写真家の土田ヒロミさんはベクトルへ意識が向かったのだろう。

 

 

 

 

現代は、無さそうに見えても在るのがベクトルの違いだ。

 

あなたの何気ない行動にも深層心理レベルではしっかりベクトルが効いているはずだ。