多勢の人がいっせいに同じ行動を取ることで発生する群衆や行列には、勘違いさせる力がある。
個人レベルでは、第一に、人が多そうな場所に行かないことが大事。情報があるのではないかとターミナル駅に人が集まることが予想されるが、絶対に行ってはダメです。
群衆雪崩は過去に何度も起きています。決して想像の話ではありません!
— 人が死なない防災 (@bosai_311) 2019年12月2日
・2001年 兵庫県明石市 11人死亡
・2008年 インド 150人死亡
・2010年 ドイツ 21人死亡
・2010年 カンボジア 347人死亡
・2014年 上海 36人死亡
・2015年 サウジアラビア 2000人以上死亡#首都直下地震 #群衆雪崩 #nhkスペシャル pic.twitter.com/5dzCBuCxXX
これらに共通してる心理が正常性バイアスと呼ばれるもので、分かりやすく言うと『赤信号みんなで渡れば怖くない』だ。
何も起きないのは危険が排除されてるのではなく、たまたまだ。
東京都の地下水位
— M9南海トラフ大地震 (@M935849546) 2019年12月5日
NHKのドラマでもやらないけど、東京の地下水位て上昇しすぎて今地下10メートルも無いんだよね
液状化どころか駅も浮き上がるだろうしトンネルには水が入るだろうし、それによる電気火災も多発するでしょうね
ま、正常性バイアスと生活できないのが首都圏なんだけどね
^_^; pic.twitter.com/cd4NCnZJgG
群衆や行列が作り上げる錯覚が正常性バイアスで、典型的な群衆心理。
さて、写真家で『群集』をテーマの一つとして扱っているのが土田ヒロミさんだが、土田さんは写真集の中でおもしろいことを言っている。
土田さんの写真集で群衆をテーマにしたものが2冊ある。
1990年に出版された『砂を数える』は、1976年〜1989年の白黒の写真集。
2005年に出版された『新・砂を数える』は、1995年〜2004年のカラーの写真集で、この写真集には『砂を数える』の写真も掲載されている。
1989年は昭和天皇崩御の年。
土田さんの目には、1989年以前の昭和の群衆にはベクトルが感じられたらしいのだ。
社会学的な、あるいは心理学的な分析をしたのではなく、写真を通して見える群衆の様子にベクトルが感じられたらしいのだ。
その最後が昭和天皇の崩御の時らしい。
その後、バブル景気が崩壊すると世の中がバーチャル化に向かい出したように感じたので、それを機にカラーで群衆を撮影し始めたのだ。
実際に写真集で見比べると分かるのだが、色の違いや人々の装いの違いだけでは説明が付かない変化が感じられるのだ。
土田さんは『新・砂を数える』の後書きにこう書いている。
しかし、それまでの「群れ」とは変質してきている「群れ」のかたちに気付き出します。一つのベクトルの方向へ動くことがなくなった群れ、互いに距離をとって群れる姿が見えてきたのです。
(中略)
そんな中、自分の表現が予測し得なかった展開を見せていきました。それが『新・砂を数える』です。
興味のない人が外野から見てると同じ種類の人に見えても、ベクトルが違うということに現代は溢れている。
刀を持ったとき、刀そのものに興味がいく人は刀剣愛好者、ものを斬ることにいく人は試斬、刀の使い方に興味がある人は居合、刀で攻防しようとする人は剣術に向かう。
— 佐山史織 (@doranekocompany) 2019年9月7日
これらは興味のベクトルが違うのに微妙な共通点があるせいで、ときおり自分の文脈で的外れな批判をしあってしまう。
なんというか俺が趣味の1人旅の話をすると「え〜そんなことするの!?ありえない〜信じられない」と言われ、その人の趣味のツーリングの話を聞いて「旅を楽しんでるの僕と共通点ありますね」と言ったら「いやーあんたとはベクトルが違うから一緒にしないで〜」と言われたりした。
— ストロング新社会人 (@naitei_onsha) 2019年8月27日
これは、お医者様と話すと、本当に感じます。お医者様は、「治したい。治してあげたい」という職業人で、弁護士は「治らなかった時、後遺障害が出た時、いかにお金で被害救済をするか」という職業人だと思い、いずれも人様(患者=依頼者)のことを考えてるのは共通だけど、ベクトルが異なると感じます… https://t.co/i5pBzISS27
— 麗奈 (@reeeiinaaaa) 2019年11月28日
何でもありに思える芸術の世界ではベクトルが問われる、だから写真家の土田ヒロミさんはベクトルへ意識が向かったのだろう。
今日は群馬県立近代美術館へ。数時間の電車の行程を含めて地方の美術館を訪ねる旅が本当に面白い。企画展は長島有里枝×竹村京の二人展。ベクトルは違えど家族やモノに対する儚さ、切なさのような感覚は共通する。それだけにとどまらず常設展の充実ぶりよ。思いがけない出逢いの宝庫。 pic.twitter.com/fWe8EmDPie
— 小泉竜生 (@ryukoizumi) 2019年8月23日
#塩田千春 展に #ボルタンスキー 展と今季の 六本木 #美術館 はスゴイ。
— 毒女の読書 (@misdrow_morning) 2019年8月5日
両作家共に共通する「不在の在」感は圧倒的だが、ベクトルはまるで逆。
ボルタンスキーが過去から現在に向かうとしたら、塩田は現在から未来に向かう。
どちらも大作ばかり❗#アート 好きは押さえておきたい展覧会かと😆 pic.twitter.com/VYSfHQTvH2
現代は、無さそうに見えても在るのがベクトルの違いだ。
あなたの何気ない行動にも深層心理レベルではしっかりベクトルが効いているはずだ。