投資には攻めの投資と守りの投資があると言われる。
資産運用の世界では、攻めの投資とはハイリスクハイリターンを指し、守りの投資とはローリスクローリターンを指す(銀行預金というのはちょっと別のカテゴリーになる)。
どちらにしてもリターンが目的であるので分かりやすいが、投資先がインフラである場合はリターンそのものが見え辛いので比較しづらくなりがちだ。
それでも全く新規のインフラの敷設に関してはリターンと言うよりも希望や期待が描けるので、これはこれで分かりやすさがある。
今や日本を含めた先進国では高度なテクノロジーに裏付けられたインフラが張り巡らせられてるが、これらを維持管理運用するためのコストも投資になるが、この種の投資はローリターンにも満たないノーリターンという扱いを受けることが多い。
つまり、安易なコスト削減の対象にされやすいのだ。
公共のインフラに限った話ではない。
個人の生活レベルでも、大事なモノなのに故障したり壊れたりするまでメンテナンスを後回しにし、結果として故障した時にはメンテナンスで回復できるレベルを越えてしまったりすることは珍しくない。
もしこれが車だったら、メンテナンス不足が露呈するのが故障に起因した事故であれば、取り返しがつかないことになり損得どころの話ではなくなるかもしれない。
リターンがあるようには見えない守りの投資が、見えないリターンをもたらしていたことを痛感するのは、取り返しがつかなくなった時だ。
このように攻めと守りに分類される行動には、投資に関すること以外にもあるので、Twitterから集めてみた。
商売には二面性あって、攻めの営業、守りのCS、みたいな見方が出来ると思うの
— NaoE (@naoe_gijin) 2019年12月18日
そして企業はお金を求めるあまりに、攻めの営業に力を入れがちなの
そういう企業は、一時は繁栄を見せるが、ただ、偏った企業はいつかボロが出る
今のAmazonのように…
中学生でもわかるような説明でした!笑 https://t.co/hrwfNpXQ4e
今更謝っても遅い
— NaoE (@naoe_gijin) 2019年12月18日
あなたの時代は終わったのだよ
サービスを提供する企業が最も力を入れるべきは[CS]だと学ぶべきだね
てか、そんな事も今の今まで理解してなかったのかと驚愕してるわ
カスタマーサービスの意味から学べほんま
何なら有料で講義指導しにいってやるよ
いや、いいや見限ったから😂 pic.twitter.com/IAWcqcH9dP
ここで取り上げられてるAmazonのような振舞いをする日本企業は増えている。
企業の振舞いが変わると個人の振舞いもそれに合わせたものに変化する。
攻めか守りかで言うと、守りが得意だと言われることが多かった日本人も攻めに転じる人が増えているように感じられる。
企業法務における「守り」と「攻め」とは?守りは既知のリスクには対策を打ち、ブラックスワン対策で止め屋にならないよう注意。攻めは強みを活かし弱みをカバーするような取引先との契約価値の最大化、有利な条項にして搾取して事業継続性喪失とならないよう注意。法務の仕事か?と思う人もいるかも。 https://t.co/diIRp0n6FU
— 通りすがりのデブ (@tuudebu) 2019年5月8日
詐欺ばかりが目立つが、日本人の攻めは合法的な搾取に向かってそうだ。(日本人に限らないかも?)
そんな時には統計も武器になるし、時には武器にされ攻められる。
統計を勉強する理由って自ら分析に使う「攻め」の意味合いと嘘の統計に騙されない「守り」の意味合いがある。
— サプライチェーンマネージャー@レガシー産業 (@takaginkgo) 2019年12月16日
実は後者の方が圧倒的に大事だったりする。
ビジネスの現場でも都合の良いデータだけ揃えたり、違った意味でデータが使われる事が本当に多い。 https://t.co/DU1oi7fCmJ
しかし、攻めと守りでいうとやはり馴染みがあるのはイソップ寓話の『北風と太陽』。
私も長年、役所勤めで役人村や役人気質は知ってる。日本は役所も含めリストラをやり過ぎ、非正規化をやり過ぎて世の中津々浦々までブラックにして来た。
— 冬目岩石 (@mt1831283) 2019年10月21日
前向きで革新的な賃上げや投資など攻めの姿勢ではなく、後ろ向きな賃下げと内部留保の守りの姿勢に終始し、借金漬けの間違った「改革」をしてる。 https://t.co/ZghooF93sL
スポーツの世界では、チームスポーツの球技の場合、得点は攻めによってしか得られないので、表面的には守りは加点要素はゼロになる。
しかし、高度な守りは失点を防ぐという意味で得点に匹敵するという評価もできる。
個人競技の場合は、チームスポーツと比べると闘う相手が分かりづらい競技が多い。
一見他の参加者と闘っているようだが、格闘技のように直接組み合うもの以外では、むしろ相手は自分自身と言えそうなものが多い。
相手が自分自身の場合は、どう闘うのがベストなのだろうか?
攻めることでも守ることでもなさそうな気がする。
最近人気の心理学がアドラー心理学。
アドラーが自分の心理学について個人心理学と呼んだように、アドラー心理学では、個人をそれ以上分割できない存在であると考えることから、人間の生を、個人という全体が個人の必要な機能等を使って目的に向かって行動している、というふうに考えている。より具体的には、人間は相対的にマイナスの状態(劣等感を覚える位置)から、相対的にプラスの状態(優越感を覚える位置)を目指して行動している、と考えている。
もし、闘う相手が自分自身なのにも関わらず、攻めと守りの観点から取るべき行動を捉えようとしていると、とんでもない勘違い行動になるかもしれない。
自分は何と(誰と)闘っているのかを知ることはとても大切だ!
孫子の兵法に『敵を知り己を知れば百戦危うからず』というのがあるが、現代では敵は己自身というケースが増えているので、自分自身を深く理解することが本当に重要になる。
15世期〜17世期の大航海時代、時の権力者や支配者は他国との交流を求めていた。
戦争をするわけではなく貿易が目的だったが、闘う相手は権力者や支配者にとっては相手の国だっただろうし、自国には無い魅力的な商品の発見だったはずだ。
しかし、その最前線で航海をする船乗り達にとっては闘う相手は海だった。
このように、統一された行動であっても、立場によっては闘う相手は全く違うものになる。
ビジネスといってもさまざまな形態があり、求められる役割や、果たすべき役割もさまざまで多種多様になる。
その多様さの数だけ相手も違っているはずだ。
そこを間違うと、攻めも守りも全く効果を発揮しなくなりそうだ。