今や世界一長寿といわれる日本の女性の寿命が、急に伸びたのは水道の普及とリンクしていたという話をブログに書いたことがある。
水を汲むのは女性の仕事だった時代の水汲みの重労働さが女性の寿命を短くしていたというのは、今となってはお伽話のように感じるかもしれないが、ほんのちょっとが大違いということを示す事例と言えるだろう。
この水道の話は良い話だが、悪い例をあげると汗にまつわる話がある。
20年くらい前から、当時の中高生に症状が出てると話題になったことがあるが、汗をかけないために体温の調節ができなくなり、それに連動して他の体の不調や不具合が生じるという話だ。
理由は、生後間もない時期から良かれとエアコンが効いた環境で育ったために汗腺が発達することなく成長した子供に現れる症状で、汗腺の発達は3歳位までらしいので、それ以降の努力では如何ともし難くなるらしい。
それからしばらくすると、夏には赤ちゃんに汗をかかせることは大事だという話題が夏に出るようになったが、その後日本の夏の猛暑化が顕著になり出すと、汗をかかせない危険と、汗をかかせる危険の、どちらを取るのが良いのかが、分かりづらくなったかもしれない。
ここに上げた二つの事例は、トレードオフが見えやすい事例として上げたが、あくまでも噂のレベルだ。
便利や快適が当たり前ではなかった時代と、便利や快適が当たり前になった時代では、トレードオフに対する意識もずいぶん変化した。
普通に生活してると体を使うことが多かった時代では、スポーツなんかしなくても運動量はスポーツ選手並みというスポーツをしない人はたくさんいたはずだ。
体を使うことが当たり前だった時代には、活動するための時間に対する考え方が今と違っていて定時に対する意識が強かった。
当たり前だが、心よりも体が疲れていたからだ。
しかし、現代ではスポーツや運動をするために時間とコストをかけてジムに行くという文化ができ上がった。
そんな時代では、定時に対する意識はずいぶん変化した。
便利で快適な環境下で長時間活動する風潮が増したのは、ひとえに体が疲れなくなったから許容されたことだ。
しかし、そんな世界にもトレードオフが顕在化し始めた。
体よりも心が疲れ始め、心が疲れると体にも悪影響が現れるようになった。
体だけが疲れていた時代よりも疲れるようになったのだ。
当然、前の疲労が抜けない状態の上に新たな疲労を積み重ねるようになるだろう。
疲れや疲労といっても、心と体がバランス悪く疲れると、疲れの質も量も大きく変化するのだ。
時代というのは、行き過ぎと揺り戻しを繰り返してるように感じられる。
同じ時代の中には、行き過ぎた世界と反動による揺り戻しの世界が同時に存在することになる。
行き過ぎた世界に活路を見出すのか、それとも揺り戻す世界で活路を見出すのか?
全く結論の無い話だが、人生はつくづくサーフィンだなと感じる。
次々と波を乗り換えて進んで行くのだが、自分が乗れる波を見つけタイミングを合わせるしかできないのだ。
他人が乗ってる波を分析してもしょうがないのだ。
今日ショッピングモールに出かけたのだが、大勢の人を見ながら、同じ場所に大勢の人がいるが皆それぞれに違う波に乗っていて、次から次に波を乗り換えているんだろうなと思えた、目には波なんてどこにも見えないのに。