違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

あなたは上書き保存派、それともフォルダー保存派?

『男はフォルダー保存で、女は上書き保存』、こんな話をつい先日テレビ朝日の弘中アナがアベマTVで言ってるのを聞いて、なるほどと思ってしまった。

 

恋愛に関しての男女の違いとして言っていたのだが、男女の違いや恋愛に関してにとどまらず、フォルダー保存を選択するか上書き保存を選択するかというのは生き方の違いや価値観の違いとして大きいかもしれないと思った。

 

由来に興味があったので調べてみると歌手の一青窈さんが歌詞で使っていたらしいと分かった。

 

 

そしてもう一つおもしろいツイートがあった。

 

 

一つ区別した方が良いだろうなと思えるのは、記憶してることとフォルダー保存してることの違いだ。

 

フォルダー保存の記憶は鮮明だが、時には間違った内容で保存される可能性がある。

 

単なる記憶は、そういうことがあったという事は覚えていてもデータとして活用できるほどの鮮明さは持ち合わせてない場合が多いので、懐かしいと感じる思い出に近くなり、このレベルだと良いことも悪いことも大した違いはなくなる。

 

 

上書き保存をするというのは、別の言い方をすれば、アップデートを躊躇しないということだろう。

 

例えば、OSやアプリのアップデートがリリースされたら私は比較的躊躇なくアップデートする方だし、自分がそうだと世間も似たようなもんだろうと思っていたが、実際にはかなりの人たちがアップデートを躊躇するし、なんの迷いもなくアップデートはしないという人も多いのだ。

 

アップデートを躊躇する人は、今現在上手く行ってるものに変更を加えてそれがきっかけで不具合が出たら嫌だから必要ないと判断するのかもしれない。

 

このような考え方は、一事が万事と相性が良い気がする。

 

 

女性は占いが好きだといわれるが、これなど実際には起きてもいないことで絶えず脳内のデータを上書き保存したいという気持ちの現れかもと思えてくる。

 

今現在に不満がなくても、もっともっとと望むからなのかもしれない。

 

 

あるいは、新しい何かの予感が感じられないと退屈だと感じるのかもしれない。

 

 

もちろん今現在に不満があれば積極的にアップデートや上書き保存はしたくなるはず。

 

 

一方、フォルダー保存派がなんでも蓄積するのは全てに保険を掛けるような気持ちと通じるような気もする。

 

取捨選択が出来ないので、大切なものとそうでないものの区別がつかなくなり、取り敢えず全て大切なもの扱いをするのかもしれない。

 

フォルダー保存派の悪しき究極がゴミ屋敷だと思えてくる、上書き保存派にはゴミにしか見えないものが大事なお宝に見えてしまうのだ。

 

このように考えると、世の中にたくさん見られる『どうしてこんな(そんな)ものに執着するんだろうか?』と思える現象の説明がつくような気がしてくる。

 

 

上書き保存出来ないとキツイなと思えてくると同時に、例えば頻繁に付き合う相手を変えたりや離婚と再婚を繰り返すような人達や転職を繰り返してばかりのような人達の中には上書き保存症候群の人もいるのだろうなと思えてくる。

 

世間からは、長続きしない人と見られがちな人の中には、実際には上書き保存の度が過ぎていると言ったほうが相応しいかもしれない人もいるだろう。

 

同じ人の中にもフォルダー保存派の自分と上書き保存派の自分が同居してることは珍しくなく、日常生活の中では折り合いがついてることが多いだろうが、何かの拍子に対立関係が露呈することはあるはず。

 

言ってる(頭で考えてる)こととやってることが違うなんていうのは、矛盾と捉えるよりも葛藤と捉える方が似合ってそうだ。

 

平和を望みながらも競争という争いに余念がなかったり、安全が一番だと思いながらも危険は避けたいと思いながらもチャレンジはしてみたいと考えるのはちっとも不思議なことではない。

 

永遠に続くことを夢見ながら、日替わり商品に惹かれるような。

 

パソコンやスマホなどのITの普及が無ければフォルダー保存や上書き保存という分かりやすい分類を人間の行動に当てはめて考えることは難しかったはず。

 

 

こういう分類は昭和の頃はどう表現してのだろうか?

 

簡単に表現出来ないとストーリーで伝えるしかないだろう、もしかしたらジキルとハイドのような二重人格もフォルダー保存と上書き保存の葛藤で説明がつくのかもしれない?