第一印象は当てにならないが、大きな追い風になることもあれば、立ち塞がる壁になることもある。
第一印象の多くは外見だ。
外見は一番外側の中身
ということばもある。
外見は内面の一番外側だし、言葉は心の一番外側なので、見かけや言葉遣いでその人を判断するのは間違っていない。(小池一夫)
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2016年2月8日
昨年亡くなられたマンガ家の小池一夫さんのTwitterのフォロワーは今でも80万人以上いる、いつも弱者に優しいことばをかける小池一夫さんのことばであることが重い意味を与えてくれる。
外見を理由にしてうんぬんするのは差別だと嫌がられる傾向が強いが、それは外見を気にする自分の気持ちを知ってるからこその自己嫌悪に近いような気がする。
外見や振る舞いをマナーと呼ぶと、上手に世渡りをするための必須事項になる。
「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だけど50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る」byココシャネル
人は自分が思ってる以上に他人を外見で判断してるし、自覚は薄くても自分自身も外見で他人から判断されているものだ。
何かの拍子にそういう現実を意識させられるのだが、そんな一つの事例が次の記事(記事の中身は連続のツイート)。
出産前は金髪で、お宮参りのために髪を暗く染めたら…世の中の対応の変化に「悲しすぎる」「そんなに顕著なのか」と驚きの声
人は、自分の嫌いなファッションや外見をしようとは思わないし出来ない、全く興味が無いということはあるかもしれないが。
つまり、結局外見にはその人自身や価値観が強く反映されることになる。
それが、純粋に自分自身の興味や関心の反映である場合と、他人の目や他人からの評価を意識してる場合の違いはあるだろうが。
ネイル新しくしたら彼氏に「俺は何もしてない爪の方が好きだな〜。男ってそうだと思う😀」って言われたから「自分の気分が上がるからやってるの!」って言ったら「フェミニスト(笑)」って笑われたんだけど別れ時かな😀
— ねこマカロン (@nekomacaron_) 2020年1月18日
外見とは、広い意味でのアウトプットなのだ。
形があるものの外見の場合はデザイン、
本だったら装丁、
絵画だったら額縁、
これらは第一印象に大きく影響するという意味では中身より大切と言えるし、逆に言うと、私たちが中身だと思ってるものはおまけだと言っても良いかもしれない。
第一印象の与え方を失敗するとその先は無いのだから。
中身の反対として語られることが多い外見だが、技術や観察が重要な理系の世界では目視という言い方をする。
外見を気にすると言うと感情的なできごとになってしまうが、外見の変化に気付くことを目視と呼ぶと、途端にアカデミックな香りが漂ってくる。
目視が必要な世界では、一回の目視(=第一印象)では終わらずに一定の間隔で連続的に変化を見極めようとする。
しかし、外見を気にする世界では、一回の目視(=第一印象)でレポートや論文が書き上げられるのだ。
間違ってれば修正するつもりがあっても、一旦印象付けられると修正は容易ではないのはインプットのされ方のせいかもしれない。
一般的には外見はアウトプットとして意識されるので、他人の外見を見て、同じ格好を自分がするとしたらどういう心境の変化が必要になるだろうかと考えるのではないだろうか?
その答えが『無理!』と第一印象としてインプットされると、その判断が間違っていたとしても修正は容易でなくても不思議はない。
たかが外見、されど外見!
外見で得をしたという声も探してみたが、見つかるのはダイエットに成功した人の、周りの人(異性)の反応が違ってきたというようなものが多く、それ以上に生々しいものは簡単には見つからなかった。
実は外見で得をしてる人の多くは、外見なんて気にしてなくて、むしろ内面が評価されていると思い込んでいるのかもしれないという仮説は浮かぶがそこまでだ。
仮説が当たっているならば、外見に反応してるのはおそらく自意識過剰だ。
だとすると、外見が与える第一印象や外見を気にし過ぎる自意識過剰は、今日もそしてこれからも悲劇や喜劇を生み出すのだろう。