違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

擬似体験からリアル体験へのシフト!

字面だけで『便利、快適、楽』の反対語を思い浮かべると誰だって避けたいと思うだろう。

 

現代は、『便利、快適、楽』を求めることが当たり前になってるが、少し視点をずらすと『便利、快適、楽』の反対はスポーツトレーニングが当てはまってもおかしくないと気付く。

 

考えようによっては、避けたい嫌なことの一部は趣味や遊びのように喜んで続けられるものに変えていけそうだと思えてくる。

 

 

テクノロジーや高度なインフラで発展した先進国も、技術の代替わりが進むと下に見ていた発展途上国が殆ど同じ地位に辿り着いてることに気付くことがある。

 

そうなると、先進国の売りは先進性では通用しなくなり、観光や伝統を絡めたアクティビティにシフトするような気配を見せるようになる。

 

 

日本では政府ですら気付いたらもうビジネスとしては終わりだという話もあるがそれはさて置き、日本政府も観光やスポーツビジネスに活路を見出そうとする意識が高まってることがこの数年感じられる。

 

その頂天に位置するのが2020東京オリンピックだと考えると、オリンピック終了後には暗さが漂うようになるが、これはスポーツを見る(観る)ものだと思ってるからこその考え方だ。

 

スポーツは見る(観る)よりも、することを楽しむものだという考え方や感じ方が2020年に定着することができれば新しい価値観がどんどん生まれてきそうな気がする。

 

 

エンターテインメントの歴史を振り返ると、スポーツや冒険が持っていた興奮やリアリティをエンターテインメントが奪って行ったように思える時がある。

 

映画や最近のゲームを見ると、冒険やチャレンジの擬似体験をなんのリスクや身体的な危険もなく楽しめる方向にどんどん向かっていて、AR(Augmented Realityの略で、日本語では「拡張現実」)やVR(Virtual Realityの略で、日本語では「仮想現実」)へ進化(深化)している。

 

つまり、大きな傾向としてリアリティの擬似体験をありがたがる時代が続いてきたのだ。

 

擬似体験するためには道具が必要になる。

 

そんな道具を揃えることは、広い意味でモノを消費することを意味する。

 

 

消費という観点で見ると、最近はモノ消費からコト消費へシフトしてるとマーケティングの世界では見ているが、これは擬似体験からリアル体験へのシフトと似てるのかもしれない。

 

最近巷では筋トレがブームと言われてるが、実際にはブームと言われる程大きなものにはなってないと思うが、少なくとも少し前までは潜在的な存在だった人たちが顕在化し始めているのは明らかだ。

 

スポーツという観点で見ると筋トレはスポーツ以前のものに位置付けられるのだろうが、スポーツとの大きな共通点は、リアルに体を使い、そのフィードバックをリアルに感じられることで、そのリアルさが好ましければ次のモチベーションにつながるという好循環を生み出すという特徴がある。

 

この持続の好循環は、依存や中毒と似てるようで大違いだ。

 

体を使うということを代表してスポーツを例に話してきたが、大事なことは体を使うことで、スポーツである必要はない。

 

体を使うことのトレードオフが『便利、快適、楽』なのだが、なぜそのようなシフトが起きているかというと、『便利、快適、楽』が人を幸せにすると考えていたのに、それではと言うよりそれだけでは幸せになれない人が増えてきたからだろう。

 

そうなると、トレードオフしていたものに目が向くのは当然だ。

 

それなりのレベルで『便利、快適、楽』を実現できているのに幸せの度合いが低いと感じる人に必要なことは、体を動かすことかもしれない。

 

だとしたら一番手っ取り早いのがスポーツをすることだ。

 

一人で、どこででもできるスポーツなんて探せばたくさんあるのだが、多くのスポーツは上達しようとすると勉強と同じでかけた時間と上手さは比例しないが、筋トレはほぼかけた時間と成果が比例する、だから高学歴で勉強に悩んだことがある人ほど嵌りやすくなるのは、かけた時間に成果が比例することが快感になるからだと言われてる。

 

なにごとも夢中になってる人は、興味のない人からは依存や中毒を患ってると見えてしまう。