テレビで『資産〇〇億円のお金持ち』と煽る番組を見るたびに、資産って言ってもお宝なのかガラクタなのかは分からないしと冷めた目で見ていたが、そう言えばと思い出したのが物納だ。
近代における税金は金銭納付が大原則であるが、日本の税法上は相続税のみ例外的に物納を認めている。
90年台のバブル景気崩壊後に一気に認知が進んだワードだ。
バブル崩壊直後の事情と最近の事情を説明する会計士のブログには次のように書いてあった。
国税庁:2018年度相続税の物納申請状況等を公表! 2020年1月17日
2019年3月までの1年間の物納申請件数は99件となり、前年度から31件増加し、金額は324億円と前年度の26億円を大きく上回りました。
バブル期の地価急騰及びその後の地価急落によって、路線価が地価を上回る逆転現象が起こり、土地取引の減少から土地を売ろうにも売れず、1990年度には1,238件、1991年度には3,871件、そして1992年度には1万2千件台まで増加しました。
値上がりを期待するともてはやされる土地や不動産は、値上がりが期待できなくなると現金よりも弱い存在になる。
物納は、不動産が現金より弱い存在だからこそ起きること。
現金を含めて財としての価値があるものを表現することばに財産と資産がある。
日常生活では区別せずに使うことが多いが、冒頭で書いたようにテレビや週刊誌が煽るような見出しやタイトルを付ける場合に用いるのは資産が多いような気がする。
資産ということばは会計用語で反対語は負債。
負債の反対語だと分かると、資産というのは金持ちだけに使われることばではないと分かる。
それに対して財産とは、反対語を持たないことばで金銭的な価値を持つものの総体を示す。
資産や財産から現金を切り離すと、その価値は換金流動性に依存することになる。
評価として現金に換算すると〇〇円の価値があっても、〇〇円の価値を持たせるためには現金化しなければいけないが、そのためには時間と場合によっては別途の経費も発生するので、現金化されると〇〇円を下回った価値になる。
この下回る度合いと、かかる時間が、換金流動性と呼ばれる。
現金と引き換えに何かを買ったり作ったりした場合、取引時には等価で、等価の資産になる。
そして、取引直後から資産の価値は変化し始め、例外はあるが一般的には価値は下がり始める。
テレビや週刊誌で「資産〇〇億円の△△が……」というような見出しやタイトルを見るたびに、つくづく時代は現金にシフトしてるなと感じられる。
正確にいうと、換金流動性の高さが求められているのだ。
高額な資産を持ってる人のほとんどは最初の資産は現金だったはずだが、現金から別のものに移っているのだ。
好きだったり、欲しかったものに移ってる場合は自然なことだが、テレビや週刊誌の見出しになる場合には、取り巻きに対して見栄を張ったりや取り巻きのことばに踊らされた結果の方が多かったのではと感じられる。
そのような場合には、一般的には財産だといわれる人間関係だが、資産という観点で見ると負債だったのだろうなと思えてくる。
つまり、現金と引き換えに維持していたのが取り巻きという人間関係だったのだ。
この取り巻きということばには良いニュアンスが与えられていないが、不思議なことに明確な反対語が日本語には無いのだ。
脇を固めるはずの側近にも取り巻きと同じニュアンスしか与えられていないし、身近にいる良い集団を表すことばが無いのだ、日本語には。
ということは日本の歴史上には、取り巻きや側近に有能で良い人が当たり前に存在するということが、レアな例外だったということを示しているのかもしれない。
集団や複数で構成される有能で良い集合体を指すことばが無いかわりに、番頭のように個人で有能で献身的な様を表現することばはちゃんと存在する。
一人で十分なのかもしれない。
一人一人は有能で献身的であっても集合体になるとまさに、船頭多くして船山を登るだ。
資産を増やすつもりで人間関係を増やしているのは逆効果なのかもしれない。
人間関係は増やし方を間違うと負債の方に大きく傾くと思うと、
親友は一人で十分、という話もうなづける気がする。