違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

隔離されると…、何が起きるか!

コロナウイルスに関係してると思われている人たちが日本国内でも隔離状態にある。

 

このニュースに接していて、このブログを書く直前まで何の違和感も感じていなかったが、次のような番組があることを知って(番組は見てない)、思い出したことがある。

 

『新型肺炎』クルーズ船…乗客の心のケアは

 

 

乗客の心のケアということに感情移入した瞬間に昔の二つの体験を思い出した。

 

二つとも、実際の隔離に比べれば時間も短いし、深刻度の度合いも全く違い、笑い話程度なのだが、それでも感情に与える影響はとても負荷が大きかったと思い出した。

 

一つはバブル景気の頃で、当時ペーペーのわたしは遅めの夏休みを9月に取って、翌日からの出社のために新幹線で東京に向かっていた。

 

乗っている新幹線が突然駅でもないところで停車し、「熱海駅の手前のトンネルの入り口で土砂崩れが発生したのでしばらく停車します」と車内放送が流れた。

 

当時はもちろん携帯電話も普及してないし、デジタルデバイスも無いので、本でも持参してなければ時間潰しもままならない状態に乗客全員が陥ったのだ。

 

停車した時間は夕方前だったと記憶してるが定かではない。

 

最初に襲ってくるのは、時間潰しができないイライラ。

 

順調に走行しても時間潰しが課題だった新幹線での移動に新たな課題が課された気分だった。

 

これが数時間続いて、今日中に帰宅できるだろうか、明日出社できるだろうかと新たな心配が生まれ出した頃に新幹線が動き出し、車内アナウンスで最寄り駅まで移動しますと伝えてきた。

 

最寄り駅(静岡県内のどこかだった)に着くと先着の新幹線が何両もいて、もちろんホームに着けることはできず、先着の新幹線の横に並び、隣の新幹線のドアとの間に鉄板を敷いて、ホームに着いてる新幹線の車両を通り抜けるようにしてホームおよび駅の施設を利用できるようにしてくれた。

 

今にして思うとJRが工夫してくれていたことが感じられるが、そのことを感謝する余裕は当時のわたしにはなかった。

 

上司の自宅の電話番号をメモで持っていたので事情を伝えることができたことがほんのちょっと救いにはなっていたが、気持ちは穏やかにはなれなかった。

 

結局、翌日の早朝に新幹線は復旧し、会社に行こうと思えば少しの遅刻で間に合う程度で帰京できたが、上司に連絡すると「今日は休んでいいよ」と言われたが、今だったらこういうことは言ってもらえないのかもしれない。

 

 

それからずいぶん経過したある年の新年を迎えて数日経った頃の夜、車での長時間移動で自宅に向かっていたわたしは天気予報がまもなく雪になると伝えていたことに不安を感じていた。

 

やがて雪が降り始めたが積雪しそうな感じにはほど遠くパラパラと降る程度だった、しかしその先に小さな峠があったので気持ちには緊張感があった。

 

交通量は少なく、かなり前方にテールランプが少し見える程度で、後方にもヘッドライトがないような状態だった。

 

峠に差し掛かると少し雪の降り方が増えて、道路がうっすらと白くなり始め、前走車のタイヤの跡が消え始めた頃、急に前走車との車間距離が縮まり出した。

 

前方には車が何台か停車していて、わたしの目からは見えないが、信号で停まってるんだろうなと思いホッとした気持ちになった。

 

しかし、交通の絶対量が多いとは思えないのにこの後車が動かなくなっていった。

 

峠を下った辺りから動かなくなったので雪は降っていたが、怖さは一段落していた。

 

怖さが薄らぐと、動かない苛立ちと、その原因は何だろうかと新たなストレスが生まれ始めた、当初の予定では夜10時頃に帰宅できるつもりだったが、11時頃になるかもと思い始めていた。

 

当初はすごいノロノロ運転できていたが、やがて1時間で200〜300m程度しか動かなくなった。

 

そして、完全に停まった。

 

ただの渋滞ではないな、事故だろうか事件だろうかと思いを巡らしラジオを聞くがそれらしきニュースは流れない。

 

先ほどの新幹線の時とは違い、この時には携帯電話があったので自宅に連絡し帰宅時間が読めない事情を伝え、渋滞の理由が分かるようなニュースが出たら教えて欲しいと伝えたが、事情が分からないまま車がノロノロながら動き出したのはそれから7時間くらい経過した頃だった。

 

排気量の大きな車に乗っていたので、アイドリングで放置してるだけでガソリンが減っていくスピードが早く、エンジンを止めると今度は寒さに襲われるので、イライラがずっと付きまとっていた。

 

土地勘があるので裏道が選べる辺りまで来ると裏道を行ったが、これが功を奏し、昼頃には帰宅できた、実に12時間渋滞に嵌っていたのだ。

 

渋滞の理由は、その日の夕方に判明した。

 

雪が降り始めた頃わたしが走っていた道路と並行するように高速道路があるのだが、雪が降ると同時に高速道路が通行止めになり、高速道路を走行中の車やトラックが強制的に高速道路から下ろされたために大渋滞が起きていたのだ。

 

裏道を選択しなければもっと大変な目に遭っていたことがニュースで分かった。

 

 

 

わたしが経験した隔離体験が以上なのだが、実際の隔離と共通してるのは、経過が不明だったり、理由が不明なまま、自由が奪われたこと。

 

どちらも時間はせいぜい半日、それでもストレスはハンパではなかったことを思い出した。

 

忘れていたということは、トラウマにはなっていなかったからだろう。

 

このことを思い出したら、現在隔離状態にある方たちのストレスの凄さはトラウマ級だと容易に想像がつく。

 

 

隔離されたクルーズ船内は「命の問題にもつながりうる状況」 臨床心理士は“拘禁反応”を危惧

「船内は刑務所ではないが、自由が阻害されているという意味では同じ。精神的な影響は大きく2パターンで、幻覚や妄想、過度な興奮状態になったりする“普段はないようなものがある状態”と、無気力になったり意欲がなくなったり(抑うつが強まったり)する“普段あるはずのものがない”という両方がある。心理学における人の感覚遮断に関する実験では1日以内でも起こりうると言われていて、他の例だと病院でも入院による環境の変化で心身の状態が一気に変わって、ないものが見えたり聞こえない音が聞こえたりという精神的な変化がしばしば起こる。加えて、睡眠が阻害されたり情緒が不安定になることもある。そのあたりは非常に心配だ」

 

 

隔離という状況は、ある日突然前触れなく襲ってくるもの、いわば通り魔に襲われるみたいなものであり、誘拐犯に長時間拘束されるようなもの。

 

動ける自由があったとしても、自由のありがたさはまるで感じないだろう。

 

是非、隔離されてる方たちを暖かい目で見守ってあげて欲しい。