違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

民間療法のグラデーション!

少し思い出話をしてみたい。

 

手術や外科的な検査を受ける人が取り交わすのが同意書。

 

わたしは以前心臓のカテーテル検査を受けたことがある。

 

突然体調不良になり、検査したら腎臓の機能が極端に落ちていて即入院という話になった。

 

入院して検査漬けになっていたある日、心臓のエコーを撮ったら健常者の半分くらいしか拍動(ドクンドクンと動く動き)してないので、全身に血を送ることができてないから腎臓が機能できなくなっていると分かり、心臓もしくは心臓の血管に起因して症状が出てるのではと、原因を探るためにカテーテル検査をしましょうということになった。

 

その際の同意書には、『死亡しても異議を唱えない』という意味の文言があり、少し躊躇してしまった。

 

説明では、カテーテル検査で重篤な事態が発生するケースは1000件に1件と言われた、普通に考えれば低い確率だから気にしなくていいのだが、当事者にとっては「ああ、俺死ぬんだ」と諦めに近い思いで同意書にサインしたことを覚えている。

 

カテーテル検査の結果、心臓周りの血管には問題なかったので、原因があるとすれば心臓そのものの可能性が高いということで、検査時に心臓の心筋細胞を切り取ったものを心臓の難病研究をしている大学の研究室に送りたいといわれ同意した、この結果が出るのはかなり先になると言われた。

 

1ヶ月の入院で回復はしないが体調は安定してるからと退院になったが、入院前から体重が30kg落ち痩せこけ、100m歩くのが10kmに感じるくらいに体力が低下していた。

 

退院時に、半年後くらいに心筋細胞の結果が出たら再度入院してもらうかもと言われた。

 

 

退院後も二週間に一回のペースで心臓のエコーを撮っていた。

 

退院して二ヶ月になろうかという頃に撮ったエコーで突然拍動が戻った。

 

その二週間後の拍動も回復を維持していた。

 

医者は、理由が分からないけど、この心臓の動きは健常者の動きだと言って、少しガッカリした表情を浮かべたように感じられた。

 

 

これ以降、経過観察は心臓ではなく腎臓に戻った。

 

ただ、拍動が戻ったからといって体調や体力がすぐに回復したわけではなかったが、その後の回復はとんとん拍子だった。

 

わたしの心臓の拍動が突然回復した理由に、わたしは心当たりがあった、先生は即座に否定したが、心当たりは自転車だ。

 

入院してる時に、回復したら自転車に乗りたいとずっと思っていた。

 

退院するとすぐに自転車を買った。

 

もともと自転車は好きだったのだが、以前使っていたギア比ではもちろん漕ぐことは出来ず、5段くらい軽くしてどうにか漕げるという状態だった。

 

体力が極端に衰えると、怖いのは発進と停止で、いい歳したおっさんが何度も転んだ。

 

巡航(スピードなんか出せないが)してると身体が喜んでいることが感じられたが、加速しようとしても全くスピードは上がらないがキツいわけではない、心臓が動かないというのは頭で想像するとキツいイメージがあるが、キツいわけではなく発揮できるパフォーマンスが極端に低いだけだった。

 

心臓が拍動を取り戻したのはそんなことを繰り返してる頃だった。

 

もともとスポーツとしての自転車は身体の関節に大きな負荷をかけずに心肺機能を強化させるのに有効だといわれてるが、そんな理屈よりも気持ち良さだけを求めていた。

 

 

だからだが、心臓が弱って体力が低下してる人がいたら、本人がやる気になるというのが前提だが、自転車を勧めたい、実際に道路を走る必要はない、ジムにあるようなペダルを漕ぐだけのタイプで十分だ。

 

 

こういうことを、世間では民間療法と呼ぶ。

 

 

わたしの定義では、民間療法とは生活の知恵だ。

 

こういう曖昧な定義は、受け取る人によって、善意が悪意に解釈されることもあれば、受け取る人の善意につけ込もうと民間療法を装う悪意もある。

 

民間療法の上に絶対的に君臨するのがエビデンスに基づく医学とされてるが、わたしの例のように絶対的とは言えないのだ。

 

 

現在流行っているコロナウイルスを取り巻く情報にもピンからキリまでの民間療法情報がある。

 

 

わたしが良いなと思ったのは次の情報。

 

 

 

 

良いなと思ったのは、特にお金がかかるわけでもない、ごく普通の日常生活にあるものだから、食わず嫌い的に敬遠してるんであればこの際取り入れても全く不都合はないだろうと思ったからなのだが、意外と世間にはこの情報に反発する人がいるのだ。

 

味噌には塩分が多いからという反発があったが、どれだけの味噌を食べるつもりなのだろうか?

 

正論のように反発する意見の代表格が次のタイプ。

 

 

 

このツイート自体は善意のアドバイスとして発信されてるのは明らかだが、問題は受け取った人がどのように解釈するかだ。

 

 

ところで、GoogleTrendsで『民間療法』を検索可能な2004年以降で見ると、

 

GoogleTrends 「民間療法」2004年以降



大きな流れとしては減少傾向にある中で、2017年の6月に大きな反応があるのは、6月22日に小林麻央さんが亡くなられていて、その生前の治療に民間療法が採用されていたことを受けてだ。

 

小林麻央さん市川海老蔵さん夫妻が、民間療法に傾倒した理由の一つとして病院の治療方針と合わなかったというのが噂としてある。

 

噂の中身は検索すれば出るので触れないが、身体の不具合は心も不具合にする、身体の不具合が先の場合もあれば、心が先に不具合を起こすこともある。

 

不具合からの回復とは何をもって判断されるのか?

 

医学的には身体の回復だ、そしてそれは検査や数値で判断される。

 

心の回復はどのように判断されるのだろうか?

 

心に関しては、明確な基準や尺度がないので、気が付いたら治っていることもあれば、いつまで経っても治らないということもある。

 

身体の問題は、表裏一体で心の問題でもある。

 

つまり、エビデンスを拠り所にするだけでは不十分なのだ、臨床の最前線に携わってる方は分かっていてもどうしようもないというジレンマを抱える人も多いだろう。

 

そういう隙間を埋める(入り込む)のが民間療法なのだが、これこそが自己責任だ。

 

自己責任ということは、勝てば官軍負ければ賊軍。

 

 

どのように判断するかは、自分が持っているリテラシー次第なのだ。