コロナウイルスの罪はありがちなウイルスとして病人を生み出してることだが、重篤度が特別高いわけではない。
重篤度が特別高いわけではないコロナウイルスの特徴は、ウイルスとしての特性ではなく、結果的に社会を揺さぶって、人の本性を暴き出していることにある。
しかし、特に日本ではそのことがもしかしたらコロナウイルスの功なのかもしれないと感じられる。
功は、2020年が東京オリンピックの年という特別なタイミングだからこそ生まれたと言えそうだ。
忘れかけていたが、東京オリンピックのマラソンの札幌開催が決まった頃から目に見えない歯車が動き出していたのかもと思える。
2020東京オリンピックは、コロナウイルスがなかったとしても以下のようなものだったはずだ。
古い映像で見る1964年の東京オリンピックには良い意味での国威発揚意識が感じられた。
つまり、1964年の東京オリンピックは当時の日本の老若男女のすべてにモチベーションのアップをもたらしていたように感じるが、それから50年以上が経過した現在、2020東京オリンピックは日本の老若男女の一部しかモチベーションが上がっていない。
オリンピックで世間が盛り上がってるだけで、それを見てる人も楽しい気持ちになれた前回の東京オリンピックとは違い、一部の得をしたり心底楽しみにしてる人だけのもので、そんな人を見ても『何が楽しいんだろう?』という目で見る傍観者の方が2020年は多そうな気がする。
歴史と経済を結びつけた本を読むと決めゼリフのように、究極の景気対策は戦争だと出る。
実際に殺し合う戦争はともかく、そんな戦争の代替イベントとしてオリンピックやサッカーのW杯が存在してると言われる。
2020東京オリンピックに究極の景気対策の思いが込められているのは間違いないだろうが、すべての人が盛り上がるわけではないのは、その景気の良さがごく一部に限定されることが分かっているからだろう。
そんな東京オリンピックの開催がピンチだ。
戦争なんてやりたい時にやるものだが、現代の戦争はそういうわけにはいかないのだ。
東京オリンピックが人質になっているのだ。
しかも、おもしろいことに二つの意味でだ。
一つは、予定通りに開催される場合、マスコミ(特に大手)はオリンピックの取材パスが欲しいために言いたいことが言えなくなっているようなのだ。
五輪の取材パスはIOC(国際オリンピック委員会)が発行し、認証するJOC(日本オリンピック委員会)を経由して申請者側に渡されることになっている。当然、東京五輪・パラリンピックも同様だ。ただ、この五輪取材パスの取得は非常に難しく、会社の規模だけでなく過去の大会の取材実績も大きくモノを言うといわれている。IOCの意にそぐわないようなことをするメディアはブラックリスト入りし、取材パスを申請してもまず間違いなく突っぱねられてしまうだろう。
「君たちは東京五輪を開催中止にしたら、どれだけの経済損失が出るか分かっているのか。そんなことよりも、どうやって大会を成功させるか。それを考えることが日本のマスコミの責務のはずだ。もう、賽は投げられたから突き進むしかない。イチかバチかかもしれないが、このウイルスとの勝負に勝って、大会を成功させれば我々日本人は歴史に名を残せることになるじゃないか」
ここから先は神のみぞ知る世界だが、オリンピックがもし中止になれば人質効果で黙らせていたことはダムが決壊するように噴出することだろう。
そうさせてはいけないという判断だろうが、オリンピックの現場を仕切る役目を担った電通が本社(汐留)勤務の全社員を26日から在宅勤務にすると発表した。
同じく汐留近くの資生堂も26日からパナソニックが27日から出社禁止。
汐留という地域が危ないのか、それとも過剰にオリンピックに関係する電通絡みで悪評が立つことを防ごうとしてるのかと勘ぐりたくなる。
これらの措置や行為は合理的なのか、それとも非合理的なのか?
日本人はというか、日本ではというべきか、非合理的なことを合理的だと判断する傾向がある、これがさまざまなガラパゴスの元になってると思えるが、コロナウイルスでオリンピックを人質に取られたことで、合理性にも国際基準が適用されるようになるとすればコロナウイルスの功と言える気がする。
コロナウイルスが話題になり始めた初期の頃、中国の対応を笑っていた日本人はいまや世界の笑い者になっている、ひとえに合理的に判断し行動すべき時に、合理性をチラつかせながら非合理的な対応をしてるからだ。
専門家と称する方々の言ってることもバラバラで、誰の言ってることが正しいのかが分かり難かったりする。
さて問題です。
次のツイートのやりとり合理的に考えたらどう判断しますか?
どっちかが会社休んだり、在宅勤務すればいいだけでしょ。なんでそんな簡単なこともわからんの? https://t.co/gEQZewn6lK https://t.co/SeHU5CK4pb
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2020年2月26日
その判断は、合理的でしょうか、それとも非合理的(=感情的)でしょうか?
コロナのおかげでそこが変わるかもしれません。