違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

濃厚接触の反対が求められる時代にシフトする!

日本時間で3月14日の未明に、トランプ大統領が国家非常事態を宣言した。

 

 

この宣言で、アメリカにとって日本への関心は蚊帳の外にされたことだろう。

 

意識高い日本人の多くは、2020年は経済的にオリンピックに期待できないことになってしまったことを感じているはず。

 

オリンピックは開催されようが中止や延期になろうと、見込んでいた経済効果をただの皮算用で終わらせることだろう。

 

オリンピックで儲けた後が大変だと考えていたプランAがダメになったので、オリンピックに頼らないプランBやプランCを確立することが急務だが、その際に否応なく会社に依存するという選択肢が頼れないものに感じられるはずだ。

 

身近なことに視点を戻すと、コロナ対策で一気に注目されたテレワークだが、現場では正社員と非正規や派遣の社員との格差が露呈し、理想的な機能が果たされてるとは言い難い。

 

そもそもテレワークに向いてる仕事というのは、仕事全体の極々一部に過ぎないのだ。

 

次に紹介する赤字で書かれたものがテレワークに馴染むとされる仕事。

 

テレワークができる人の率

テレワークに向いてる職種

 

都道府県別のテレワーク可能な率

 

 

だからこそ、一人一人が自分自身のプランBやプランCを立てる必要に迫られている。

 

絶対にやってはいけないのは何かに依存することで、いわゆる情報商材やネットワークビジネスは論外だ。

 

ウイルスとしてのコロナの力だけで世の中が動いてるわけではないと感じるが、コロナを中心にして変化が起きていることだけは間違いない。

 

この変化が簡単に収まれば以前の状態に戻るだろうし、戻ろうとすれば戻れるかもしれないが、長期に及ぶようだと自然と衰退消滅する分野が出てくる。

 

仕事だろうと遊びだろうと趣味だろうと、すべてが影響を受けてシフトする。

 

シンプルな原則として、砂金を掘ることを目指すのか、それとも砂金を掘る人のためにツルハシを提供するのかに則った場合の砂金に当たるものは何になるのかを考え直す時期に直面している。

 

そして、砂金を掘ることを釣りに例えるならば、

 

  1. 目的の魚の生息域に釣り糸を垂れる必要がある
  2. それが難しければせめて魚がいるポイントに糸を垂れる必要がある
  3. 魚の居場所が分からないならば、せめて水がある場所を見つける必要がある

 

釣りに例えると簡単で当たり前のことが、これから新しいことを始めるとなると、水のない場所に釣り糸を垂れることはそこかしこで起きる。

 

 

コロナ以前は、何をするにしても『場』が重要だった。

 

時代の進歩で、『場』はリアルだけでなくネット等の仮想空間にも広がっているが、仮想空間ですらリアルから完全に独立してるわけではなく、リアルな場との接点こそが要と言える。

 

コロナウイルスは、要の接点であるリアルな場をズタズタにしている。

 

接点としてのリアルな場で、最も敬遠されるようになっているのが濃厚接触。

 

コロナウイルスが終息したとしても、濃厚接触に対するトラウマは強く残るはずだ。

 

挨拶がわりにハグやキスをするのが当たり前とされるイタリアでもコロナは猛威を奮っていて、文化ですらあったハグやキスが避けられているらしい。

 

 

 

自分の生き方を変えたいと思ってる人には、今は大きなチャンスの時期だ。

 

やりたくないことや嫌なことを渋々受け入れて生きてる人にとっては決別のチャンスだ。

 

 

いずれにしても日本では、これからは茨の道が待ち受けている。

 

残念ながら、皆で協力して困難を乗り切ろうという流れにはならないで、お互いに相手を利用しようとする人同士が絡み合うことになる。

 

ビジネス上の濃厚接触も相手を間違うと大変なことになる。

 

 

これからは、あらゆる意味で濃厚接触は過去の実績で信用できることが確認できてる人に限定されるようになるだろう、時代に逆行してるようでもあるが、グローバル化、オープン化した反動かもしれない。

 

 

そう考えると、SNSを始めとして自分自身のキャラや考え方や生き方を情報発信することは大事になるはずだ。