違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

コロナは救世主!?

いかにも日本人らしい反応だなという反応があったようだ。

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

《いや、大変なの俳優だけじゃないからね?》

 

《気持ちはわかるけど、俳優さんって保証はないのは覚悟の上なんじゃないかな》

 

《文句言ってないで西田さんがお金の支援したらいいじゃない。たくさん稼いでるでしょ?》

 

結果として、辛辣(しんらつ)な意見がSNSで飛び交うことになってしまった。

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

改めてTwitterで検索すると、本当に西田敏行さんを非難する書き込みが多いのだ、もちろん目立つのはノイジーマイノリティで少数派だと思うが、共通してるのは自己責任の押し付けだ。

 

過去に自己責任が問われた場合の矛先は、危険を承知で紛争地や戦場に赴いた人を救出することに向けられたり、危険を承知で何かあったら自己責任を問われることを承知で冒険旅行に出て救出を求めたりした人に向けられていた。

 

 

 

 

コロナ騒動は、初期の頃から武漢からの帰国者の帰国費用の自己負担を巡って自己責任がテーマにされることがあった。

 

 

 

西田敏行さんの件に戻すと、日本では弱者が組織を作って上手に行動することが苦手だという指摘があり、弱者ほど自己責任論を振り回しがちになるのは自分が常に自己責任論を押し付けられる立場ゆえの被害妄想からだと想像できる。

 

西田敏行さんを非難する人たちは、自分たちには西田敏行さんのような味方がいないことに対しての妬みが感じられる。

 

向ける矛先を社会的弱者ほど間違っている可能性が高いのだ。

 

今の日本には社会的弱者は大勢いるのに、それぞれがバラバラで連帯しない(できない)ので、社会的強者にとっては利用しやすい存在なのだ。

 

 

 

 

日本では、強者にとって弱者は利用しやすいというよりも、無視しても構わない存在に見えてしまうのだ。

 

高度成長期のように、号令に従って一斉に同じ行動を取るような場合には思わぬ力を発揮することができたが、自主性や自己判断が求められるようになると弱者はバラバラになり連帯できなくなり、安っぽい共感で感動するようになる。

 

コロナのせいで起きている経済低迷は、現在弱者を直撃中だが、それに対する経済政策や対策はのらりくらりなのは現在困っているのが弱者だからだろう。

 

ただ時間の問題で強者にも問題は及ぶので、そうなったら政策や対策が動き出すはずだ。

 

ビル・ゲイツが言ったように、コロナは平等を思い出させてくれるのに役立っているような気がしてくる。

 

 

日本で生活してると直接目に入るのは日本人の動きだが、おそらく似たような動きは世界中で文化度にあまり関係なく起きているから、ビル・ゲイツのようにグローバルな視点を持つ方のことばが出るのかもしれない。

 

人間の価値観や人生観は、戦争や大災害で変わると言われる。

 

しかし、戦争や大災害ですら全ての人の身に等しく降りかかるわけではない。

 

東日本大震災だって既に風化してるとすれば、身をもって体験したのは東日本の一部の方だけで日本人のせいぜい半数だからかもしれない。

 

それに対して、空騒ぎと揶揄されても、コロナには全ての人が振り回されていて、全ての人が被害を実感してるとすれば、全ての人の価値観や人生観に影響を与えてる可能性が高いと思える。

 

 

コロナのおかげで気付くのは、死者数の多さが影響力の全てではないということ。

 

コロナを恐れる気持ちは悪霊を恐れる気持ちと似ている。

 

オバケや幽霊は子供が信じるもので大人になると卒業するものだが、コロナを悪霊に例えた場合、大人ほど恐れている。

 

今生きてる人の価値観や人生観が変わって当然だ。

 

 

未来の教科書では、紀元前と紀元後のように、コロナ前、コロナ後で時代を区分して歴史を教えるようになるのかもしれない。

 

 

コロナ≒キリスト!?

 

 

歴史的観点からするとコロナは救世主かもしれない!