国境などモノともせずに拡散しているコロナウイルスの背後に人為的な一極集中が垣間見える。
一極集中は、コロナ流行の前は合理性に裏付けられた強みとして語られていたが、今や弱点として、諸悪の根源として捉えられるようにすらなっている。
Wikipediaによると限界集落ということばが誕生したのは1991年だとされている。
単純に人口が減少する過疎と区別して、地域のインフラなどを含めて共同体として成立しないということを意味する。
限界集落では、自給自足や地産地消という概念も限界に達してるのは、グローバル化の巡り巡った影響の結果だ。
こういうことばの誕生とセットで一極集中も顕在化していった。
東京への一極集中が、東京のキャパシティに近づき始めると、隣接する県も含めて首都圏として一極集中の受け皿になることは、合理的で賢いことだと言われ続けてきたのが21世紀の日本であり、グローバル化した世界の共通認識として定着したかに見えていた。
個人的には違和感を感じていたが、コストという観点で世の中を捉えると、しょうがないのかなとも思っていた。
コストという観点で物事を捉えると、合理性や効率が重視され、集中に行き着く。
集中とトレードオフの関係が分散で、何も問題が起きなければ分散は無駄なことだと判断されることがあるが、ひとたび問題が起きると集中してるところでは全滅も起こりうるのだ。
しかし、理屈でそう分かっていても、最近の世の中は集中とグローバル化に強烈にシフトしていった結果が現在。
そこにコロナが登場したのだ。
コロナの出現は、一極集中に大きな混乱と不安を与えている。
人間同士の接触の集中が恐れられ、物資の集中が不安の原因になっている。
人間の集中にとって最大の弱点は、不安や恐怖という感情。
不安や恐怖は、もっともっとを加速させる。
合理性や効率をもっともっとと求めていくようになる。
積極的に攻めてるつもりの行動は、往々にして不安の裏返しだったり強迫観念に急かされてだったりする。
次の記事はホテル業界の話だが、具体的なデータも示されていて興味深い。
コロナショックで大苦境の「ホテル業界」いよいよ明暗が分かれ始めた そもそも供給過剰だったところに…
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近年言われた“ホテル不足”とは、訪日外国人旅行者数の激増と、それを受けたホテル開業までの時差がもたらした「一時的なミスマッチ」の側面があったと筆者は分析している。
増加数でいえば、一般のホテルに加えて「簡易宿所」(カプセルホテルやホステル、一部民泊)はさらに顕著で約7000軒も増加したとされる(観光庁統計)。
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集中の加速は、アンテナやセンサーの感度を下げてしまうのだろうか、GOサインの裏では次のようなことが起きていたらしい。
〜〜以下引用〜〜
日々ホテルへ取材に出向く中で、現場のホテルスタッフから初めてホテル余剰の懸念を聞いたのが2018年の終わり頃と記憶している。世間的にはまだまだホテル活況が叫ばれていた頃で、強気の料金設定も多く見られた。一転、懸念が的中するかのように2019年に入ると状況が変わった。人気観光都市や大都市部のホテルで稼働率や料金の下落傾向が見られるようになったのである。
〜〜引用ここまで〜〜
気の利いた会社では業務がテレワークになってるが、テレワークは有能な社員と無能な社員をクッキリあぶり出すかもしれない。
従来の評価とは全く違うことが起こるかもしれない。
有能だと思われていた人が実は無能だと発覚したり、その逆も。
結果として新たなリストラが始まるのも過剰な集中を解消することを意味するのかもしれない。
当然、陽が当たってなかった分野に陽が当たることも同時に起き始める。
いずれにせよ、新しいキーワードとして分散に注目する必要があるはずだ。
バベルの塔の話を思い出す。
諸説ある中の話として、
文明を発達させた人類は、一つの言語を共通語として使うようになり、一か所に集まりみんなで住むための巨大な天に届く塔を作り始めた。
そんな人類は神の逆鱗に触れ、塔を破壊され、分散させられ、それぞれに異なる言語を与えられ、神の領域に立ち入れないようにされた。
という説があるが、
現代のバベルの塔を破壊するために神が送り込んだのがコロナだと思えてしょうがない。
もし、人類が神の逆鱗に触れているとするならば、バベルの塔が破壊され、分散が完了するまで神の怒りは解けないかもしれない。