Wikipediaに拠ると日本で最初にセクハラということばが使われたのは1986年。
この時のセクハラとされた件は偶発的に起きた出来事と扱われ、世間の関心も集めなかったようだ。
しかし、1990年代になると同時に定番の裁判の争点になり、セクハラは日常用語としても急速に定着することになった。
現場でセクハラが行われてることは当事者や周りにいる人には明らかなことも多いが、その場にはいない人に対して第三者的にセクハラがあったかどうかを証明するのは困難なことが多い。
その背景は、複雑に関係する人間関係や利害関係が存在することを抜きには語れないからだ。
つまり、セクハラの背景にはパワハラも関係するし、恋愛における駆け引きや妄想も無関係ではないからだ。
このように被害としてのセクハラはあったとしても証明することが難しいので被害者が不利だとされていたが、時代の空気や法の解釈も時間の経過とともに変化し、現在ではセクハラに限らず各種のハラスメントは、被害を受けた人がハラスメントだと感じれば、ハラスメントは行われたとする考えが浸透したように感じられる。
余談だが、個人的にはタバコもハラスメントだったなと思えるので、タバコが嫌われるのは強いられた苦痛に対する反動でもあるなと納得できる。
セクハラということばが日本語として定着して約30年、当初は被害者不利だった各種のハラスメントは現在では被害者有利の様相を呈するようになってきた。
このような変化の背景にスマホの普及とSNSの普及が大きく関係してそうだ。
その結果、ネット用語として新しいことばを生み出している。
ちょっとした不快のタネを見つけては、自分の感情が害されたことを声高に発信するお気持ちヤクザが登場した。
お気持ちヤクザは誰かの発言に対してリアクションするのだが、その誰かも声高に自信を持って自説を述べているにも関わらず、お気持ちヤクザに絡まれると急に萎縮して、お気持ちヤクザの反撃に簡単に心が傷ついてしまう人がいる、そんな人たちは繊細チンピラと呼ばれる。
ハラスメント界隈には、お気持ちヤクザと繊細チンピラが溢れていそうだ。
そんなハラスメント界隈にも新型コロナは、新しい波を巻き起こしている。
お気持ちヤクザの行動は同調圧力そのものという意味では、典型的な悪しき日本人像が現れる。
心療内科のある病院勤務看護師わい、朝から医者がブチ切れててどうしたんですか?って聞いたら「開院前なのに既に10人以上並んでる、どいつもこいつも味覚がおかしいとか言ってやがる。コロナは味覚がどうのとかテレビで報道したせいだ」って
— ミクロス@C98月曜南ノ09b (@micross_) 2020年3月27日
わかりみ〜
入院患者も朝から味覚障害訴え始めてて地獄〜
懸念通りというかコロナ患者のご遺体野取り扱いについて違法だ人権がって騒ぐ人がいるから、保健所からの指導ですって形がとれなくて事を構えると忙しい中で電凸やらなにやらおこって、業務も生活も脅かされる危険を冒してまでやらんよっていうのは、ああいうお気持ちヤクザの手法です。騒ぐのが目的。
— 佐藤信顕@葬儀葬式ch (@satonobuaki) 2020年4月1日
急転直下で決まった一人当たり10万円支給の漏れ伝わる経緯を聞いていると、政治の世界にもお気持ちヤクザと繊細チンピラが蠢いていることが感じられる。
給付金を受けたい創価学会員がお気持ちヤクザになって、泣き付かれた公明党も自民党に対してお気持ちヤクザになり、安倍首相に『このままだと連立を維持できない』と訴え、それに対して政権を失いたくない自民党が繊細チンピラと化し、10万円支給が決定された。
そんな自民党内では麻生財務大臣がお気持ちヤクザぶりを発揮しているのもおもしろい。
こうやって考えると政治の世界では、お気持ちヤクザも繊細チンピラも国民不在の政治が見え、結果オーライと評価して良いのかと冷めた気持ちになる。
政治を例にしてみたが、他の分野でも、コロナが様変わりさせたお気持ちヤクザと繊細チンピラの構図はありそうだ。
ネットで意図的に炎上を狙ってる人が、実際に炎上させた場合、寄せられる罵詈雑言に覚悟してても少なからず傷つくというのと同じ構造だ。
声高に意見を述べる人がいたら、この人はお気持ちヤクザだろうか、それとも繊細チンピラだろうかと人間観察すると、良い暇つぶしになるだろう。