振り返ると、ヒタヒタと迫るコロナが日本全体の問題になるかもとわたしが薄っすらと思い始めたキッカケは、2月17日に正式に中止が報じられた東京マラソンの一般参加のような気がする。
ただ、その頃に感じた怖さはウイルスそのものの怖さよりも、空気が作るであろう怖さだった。
それから2ヶ月以上が経過。
コロナは、ウイルスそのものの怖さも見せつけながら、確実に空気を変え、空気だけでなく人々の行動も変えさせ始めた。
労働環境はごくごく一部の、人が集中する商売やビジネスの最前線にいる方を除くと、労働の過酷さゆえのブラックぶりからは解放されているかもしれないが、広い意味での不安と不満は拡大してることだろう。
休校中の子供たちが、この時期をどう過ごすかでこの後大きな差が付くであろうと想像できるように、大人だってこの時期の過ごし方は今後の人生に大きな影響を及ぼすはずだ。
空気が変わったことで行動が変わった現在では、今は特別ではなく、これが日常だと受け容れる必要に迫られている。
しかし、受け容れられない人の方がはるかに多いはずだ。
受け容れられないと、抵抗することになる。
今は、あるべき日常ではなく緊急事態であり非常事態だと。
緊急事態や非常事態は、地震や台風のように猛威を振るっても短時間で過ぎ去る場合に発令されるが、この場合は解除されることが前提で、過ぎ去った場合には、元に戻すぞという強いモチベーションが発動されやすい。
また、東日本大震災ですらそうであったように、全員が被害の悲惨さを共有できても、被害そのものを受けたのは全体から見ると少数派に過ぎないような場合は、周りにいる被害を受けてない人やシステムで支えることが可能になる。
それに対してコロナは、全員に被害を及ぼしている。
全員が被害者の場合の助け合いや支え合いということを、今生きている人達は初めて経験することになるのかもしれない。
これまでは、弱ってる人がいたら、元気な誰かが助けるという構図だったが、全員が弱ってる場合(程度の格差は大きいかもしれないが)の助け合いや支え合いを初めて経験するのがこれからだ。
解除の目安も不明なままで緊急事態や非常事態を受け容れた生活が続くと、それ以前の生活に実感が乏しくなってきて、あの過ごした日々は夢や錯覚だったのかもしれないとすら思えて来る。
助け合うにしても、支え合うにしても、どこを目標に、何を目的にするのかの一致は簡単ではないかもしれない。
誰もが容易に思い浮かべるコロナ前の状態に戻るということは、もはや夢物語ですらあるかもしれない。
生きてる人が初めて体験することが起きる場合、過去の歴史に似たような時期を思い起こすと参考になるかもしれない。
わたしは、全員が被害者になりうる危機を過ごした時期としてペストが流行した14世紀を思い出す。
ヨーロッパで猛威を振るったペストは世界の人口が4億5000万人と言われていた時代に1億人を死亡させたと言われている。
その後ヨーロッパで何が起きたか?
人口の8割がペストで死んだと言われるイタリアを中心にしてルネサンスが始まっているのだ。
〜〜以下引用〜〜
ルネサンス Renaissance という語は「再生」(re- 再び + naissance 誕生)を意味するフランス語で、19世紀のフランスの歴史家ミシュレが『フランス史』第7巻(1855年)に‘Renaissance’という標題を付け、初めて学問的に使用した。
〜〜引用ここまで〜〜
歴史を参考にするならば、元に戻ることよりも、新しい何かに目を向ける方が賢明かもしれないが、敵は時間になるかもしれない。
コロナ前にはやりたいけどできなかったことがある人は、それをやるべきだろう。
何をしたら良いか分からない人は、何かを見つけるしかないが、そんな時は子供の頃の自分を思い出すことがヒントになるはずだ。
3密(密閉、密集、密接)を避けるが合言葉のようになって久しい現在は、不要不急の外出は咎められるのが辛いところだが、おそらく既に新しいルネサンスは始まってると思った方が良いはずだ。