違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

今年の夏は脱ぎますか? ……マスクを!

陽射しや気温が夏を感じさせるようになると、日本の夏は湿度が高いので、その暑苦しさは重苦しさに感じられるので、心身ともに軽くしたくなる。

 

夏の空気の重苦しさには、気持ちの問題以外にも理由がある。

 

気温が上がるので、気温が低い時に比べて空気が膨張し一定容積内の空気中の大気成分の濃度も薄くなる。

 

人間活動としては、いつもと同じように呼吸していても、体内に取り込める酸素量が減ることになる。

 

気温が上がると体自体は動きやすくなるが、気温が上がるにつれて発揮するパフォーマンスが低下し始め、パフォーマンスを維持できる時間も短くなる。

 

 

そんな夏が目前に迫っているが、今年の夏は例年と少し事情が違っている。

 

そういう事情が、新聞の見出しにもなっていた。

 

 

暑い…でもマスク外せない 予想気温27度、すでに夏の予感

 

 

マスクをすることの不都合はマスクを外せば解消するのだが、この簡単なはずのことが難解な禅問答のようになっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月中に全国的に自粛が解除されても、それはマスクをしなくても良いということとイコールではないので、外したくても外せない人が続出するはずだ。

 

 

日本では、コロナが無かったとしても、一定のマスク需要があり日常生活でマスクを常用する人達はいたが、そういう人達はマスク本来の機能ではない副作用的な機能を求めていたのかもしれないと思わせる記事があった。

 

 

マスクの弊害 視覚・聴覚障害者にとってのコロナ禍社会 2020年4月21日

 

〜〜以下引用〜〜

 

筆者が長年取材してきたアイメイト(盲導犬)使用者に話を聞くと、全盲の視覚障害者の場合、「マスクで顔の皮膚感覚が鈍って歩行が困難になる」「町の音がなくなって方向感覚が狂った」「ソーシャル・ディスタンスが掴めない」といった、晴眼者には想像しにくい弊害を訴える声が聞こえてきた。また、聴覚障害者にとっては、手話で重要な表情と口の動きを覆うマスクの着用は、より切実な問題となっている。

 

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

 

この記事を読むと感じられるのは、顔の皮膚は人間にとってセンサーとしても機能していたのだろうということだ。

 

目や耳に不都合が生じていなければありがたさを感じない程度の役割なのかもしれないが、それでも補完的な役割はしてたはず。

 

仕事や業務上の必要でマスクを使用することは、気持ちの割り切りとセットなので例外とすることができても、日常生活で常用するようになると、必要な感覚的な情報の入手を遮断することになってるかもしれない。

 

マスクを常用する生活は、社会から無意識の思いやりや優しさを失わせるという副作用を生み出してるのかもしれない。

 

 

この副作用は、エビデンスや因果関係などがあったとしてもすぐには出ないだろうし、そういう事実があるとも気付かれないかもしれない。

 

社会と折り合いをつけるためには今はマスクは使わざるを得ないだろうが、マスクの常用はヤバいと知っておいて損はないだろう。