慣れ親しんだシステムが継続されるのは便利だからだが、そのシステムが長期間続くと柔軟性や臨機応変さが失われるようになる。
平時には問題なくても、有事には不都合が生じやすくなる。
ハンコを押すために「出社」する日本を笑っていましたが、アメリカでは「チェック」での支払いしかできないために「出社」をしている件。
— キンタロー🇺🇸米国CAエンジニア🌐 (@Tapsloveen) 2020年5月9日
「チェック」とは?
チェックは他人の銀行口座から現金を引き出せるしくみ、のことです。専用の紙切れがあり、そこにサインと金額を記入すれば、誰でもお金を引き落とせます。
— キンタロー🇺🇸米国CAエンジニア🌐 (@Tapsloveen) 2020年5月9日
会社間の支払や、送金などによく使われます。日本では、チェック文化はないですよね。
日本では未だにまかり通るアナログのシステムへの執着には、デジタルに対応し適応できないからという事情も透けて見えるという意味では
『デジタルvsアナログ』の側面も感じられるが、コロナ禍での自粛生活やテレワークを通して垣間見えてくるのは、むしろ『オンラインvsオフライン』のように思える。
一方的にどちらかが支持されてるわけではないが、今の流れからいうとオンラインに分がありそうだが、まずは教育分野から切り口になりそうなツイートを探してみた。
小3のオンライン授業の様子。MacとiPad2台(生徒にどう見えてるかの確認と板書の画面共有用)を使うことでオフラインの授業とほぼ変わらない感覚で授業できる。指導中の生徒は他の子の顔が見えないので私語もないし間違えても恥ずかしい思いをすることもない。オフラインのデメリットが解消できる。 pic.twitter.com/WRC2J03TcD
— カイマサヒロ | LIFE, inc.🦉 (@ilm_owl) 2020年5月11日
早くからオンライン対応してきた塾や予備校が、やっぱりこれじゃないと感じてオフライン対応にどうにか切り替えようとしている一方、オンライン授業さえすれば大丈夫と信じてようやく意気揚々とオンライン化を進め始めた公教育との温度差がすごい。
— りんごくん@慧真館 (@keishinkan) 2020年5月8日
オフラインとオンラインの教室で一番違うところは、オフラインだと「周囲の子が今何をしてるか見れる」こと。なので、実はそれを見て「今何してるか」「次何するか」を把握してる子はかなり多いのではないか。オンラインだとこれを文字か音声、いずれかで伝えるしかなくなる。
— 森哲平 (@moriteppei) 2020年5月7日
オンライン授業の弊害、オフラインだったら詳しい人が教えにいく、とかが割と頻繁に発生してたけど、オンラインだと困ってる状態が見えないし、先生の通りがかりに声をかけるなんて出来ないので、特に技術系の授業はグダらざるを得ないよね
— Nagata-shi (@nagata_shi_next) 2020年5月11日
個人的に好きなYouTubeチャンネルが、それまではやってなかったのに自粛生活の中で外で撮影できないので自宅からのLIVE生配信をやっているのを見ることが増えた。
ネット上であってもLIVE生配信だとオンライン感が強くなるが、双方向性はチャットでできるとは言え、教育的なオンラインの活用とは明らかに要求されるレベルが異なっていると感じられる。
YouTubeチャンネルの場合、双方に意識のギャップはほとんどないと思われるが、教育的オンラインの活用の場合、教える側と教わる側の間にはある種のギャップが拭えないように感じられる。
ギャップの大元には、教わる生徒の資質の差があり、その差がコミュニケーションに関する大きな格差につながりそうに思える。
従来のオフライン的な教育が、全ての生徒を落ちこぼれさせないということを理想に持っていたとすれば、オンライン的な教育ではついて来れる人だけを拾い上げ、ついて来れない人は別のものを求めるようになり、YouTubeだったら当たり前のスタイルに向かいそうだ。
多様化する価値観などとよく言われるが、オフライン化された世界では、その多様性は序列化され優劣で語られることが多いが、オンライン上でYoutubeのチャンネルのように位置づけられると、趣味嗜好の違いという分類に変化するはずだ。
コミュニケーションのレベルや内容によって向き不向きはあるにせよ、今の流れからするとオンライン化にシフトすることは避けられないだろう。
携帯電話やスマホの普及が、音声での会話からメールによる文字や記号での会話へのシフトを促進したような変化が、コミュニケーション上でもう一段階進むことが避けられないだろう。
外出自粛でオンライン化せざるを得なくなったことで、オンラインで大丈夫なことと、オンラインではイマイチなことの線引きも改めて実感できてるように感じられる。
ネットの普及で、オンライン上では知り合いだけど、リアルには会ったことがない人同士が実際に会うことをオフラインミーティング(オフ会)と呼ぶが、この言葉が生まれたのは20世紀で、その頃のオフ会はオンラインの上位に位置した特別なことだった。
オンラインを主戦場にしている方たちも最初は実際に対面で会うことに高い価値を持っていたのだ。
主に趣味の分野から裾野が広まったからだと思える。
現実社会の属性と関係ない個人的・趣味的なオンラインに対して、オフラインにはリアル社会の属性や人間関係を引きずったビジネス的なニュアンスが強く感じられる。
オンラインvsオフラインと捉えると、その手前の段階にデジタルvsアナログがあると位置付けるが、これから未来に向かう中では個人的・趣味的vs組織的・ビジネス的に向かうのではと思えてくる。
デジタルvsアナログと捉えると、オンラインを意識した時にPCとタブレット端末だとどちらが良いのかなどと考えがちだが、
個人的・趣味的vs組織的・ビジネス的と捉えると、オンラインを意識するとどのアプリやソフトを使って何をやりたいかが肝心になる。
いずれにしても、オンライン化が加速すれば裾野は広がる一方になる。
だとすれば、分散化も加速するだろう。
分散化が進むとすれば、寄らば大樹の陰という価値観が壊れていくように感じられるが、コロナで大きなダメージを受けた方の中には今まで以上に寄らば大樹の陰という思いを強くしてることがTwitterやいろいろなブログを読むと感じられる。
世の中はいつも禅問答を繰り返している。