自分の属する環境がブラックだと感じたらホワイトな環境を求めるのは当たり前だ。
そしてそのような場合、自分と違う環境はどれも良さげに見えるのは昔からだ。
だから、隣の芝生は青いという諺があるのだ。
これは、他人を羨んだり妬んだりする場合の無い物ねだり的な心理を示してるが、最近のブラックな環境からホワイト環境へ乗り換えたいと思う気持ちは他人を羨んだり妬んだりということが動機というよりも、むしろリスクヘッジの意味合いが強いと思える。
ネット証券の口座開設が急増してるらしい。
裏に道あり:NISA口座開設数が3倍、4月 大手ネット証券5社(日経)https://t.co/p9hKJhEwHe
— 滝田洋一(日本経済新聞) (@yoichitakita) 2020年5月23日
新型コロナによる経済の停滞で3月に株式市場が急落。安値を資産形成の好機とみた若い世代の個人投資家が流入している。
ーーテレワークの浸透が、ネット取引を後押しという面も。
コロナのせいで社会活動に滞りが生じたせいで給料をもらえるサラリーマンというポジションのありがたさが分かるとともに、給料をくれる会社ですら傷を負ってることを考えると給料だけに頼ることはできないと考えるようになるのは当然で、その結果関心が向かうのは副業や投資になっているのだろう、コロナ前からこの傾向は出ていたが。
寄らば大樹の陰でと思いながらも、大樹が腐った大木であることも心配する必要があるのだ。
だから、他人を羨ましがったり妬んだりしてる場合ではなくなっているのだ。
羨んだり妬むという気持ちは、余裕があるから感じるのだ。
収入額を増やすことだけでなく収入チャンネルを増やすことは、今やより豊かを求めるためというよりも、最低限を確保するためのリスクヘッジなのだ。
自粛が続くことで、天下を回り続けるはずのお金の流れも自粛したかのように感じられる。
渋谷の駅周辺の広告が激減したり、新聞の折り込みチラシの激減や、YouTuberが再生数が増えても収入が激減したと伝える事実や、ネット証券の取り引き口座の開設が激増してることは、お金の流れが一時的にしろ大きく変化したことを示している。
この変化は、小売りの現場で人気商品が目の前で売れてるのを目にすることとは違い、増えてると聞かされてもその現象は目には見えない。
そういう目に見えない分野では広告費も注ぎ込まれているのだろうが、よほどアンテナを張ってるか事情通でなければ変化には気づきにくいはずだ。
ネット証券口座開設かなり増えてる。投資への関心が高まってる。
— 井坂優介 @FullouT founder (@Y_Issa) 2020年5月23日
ネット証券の広告扱ってるとこも伸びてそう。 pic.twitter.com/BcNc12lqRJ
投資の反対概念が従来の労働だとすると、大きな意識の違いとして労働はやったことに対しての対価として報酬を求めることがある。
上げた結果に対する報酬であり、拘束された時間や労働に対する報酬だ。
一生懸命やったけど結果を出せなかったとしても報酬はゼロにはならないどころか一定水準は必ず得られることがほとんどだ。
それに対して、投資や投機には大きな心理的ハードルとしてゼロサムというものが課される。
投資や投機はゼロサムではないという意見も多いが、市場全体での儲けは投資額に応じて分配されるわけではなく、圧倒的に少数が独占し、残りの人はそのおこぼれしか回ってこないか全財産を失い、市場全体としてはプラスマイナスゼロとなるという考えは根強い。
実際にゼロサムであるかどうかはともかく、乗り越えなければ投資には踏み出せない心理的なハードルとして立ちはだかるはずだ。
この心理的なハードルと、マーフィーの法則は結びつきやすい。
〜〜以下引用〜〜
「失敗する余地があるなら、失敗する」「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」をはじめとする、先達の経験から生じた数々のユーモラスでしかも哀愁に富む経験則をまとめたもの
〜〜引用ここまで〜〜
それにも関わらず投資に参入する人たちが増えているのは、ゼロサムであることのネガティブさは、チャンスを掴むというポジティブさと同じだからだ。
そんなチャンスも、マーフィーの法則が好きな人たちの手にかかるとネガティブに解釈される。
絶好のチャンスは最悪のタイミングでやってくる。
最悪のタイミングがコロナと結びつくのは誰でもだろう。
ほぼ全ての人にとって今は最悪のタイミングだとするならば、絶好のチャンスだけが残るとも言えそうだ。
このことばに強く背中を押される人たちが増えているのだろうか。
悩ましいのは、マーフィーの法則が好きな人の間では、
失敗した後には、原因だけが残る
と、言われてることだ。
巷では賭け麻雀が話題だが、作家の百田尚樹さんがこんなことを言っていた。
賭け麻雀なんか、若い時に死ぬほどやったわ。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2020年5月21日
で、ある日、飽きた。なんで飽きたかと言うと、金賭けないと面白くないゲームというのがわかったから。金賭けたら、ジャンケンでも面白い。
小銭を賭けて一喜一憂するより、人生のギャンブルのほうが面白い。 https://t.co/Kp7jQxz4IE
現在の投資熱は、理性や合理性だけでなく感情も後押ししてるのかもしれない。