違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

現代の世の中は不要不急で出来ている!

強制ではない外出自粛の要請で、補償も不十分なのに、都市では80%〜90%もの人出が減少した。

 

自粛のキーワードは不要不急。

 

不要不急の外出は控えましょう、というのが自粛の要請だった。

 

 

養老孟司先生がこんなことを言っている。

 

 

〜〜以下引用〜〜

 

インタビューでは、対策のキーワードになった外出や営業の「自粛」について「本来は自分で考えるはずの『自粛』なのに、誰が決めたわけじゃないけれど強制されて、訳の分からないことになった」と指摘。集団の中で思考力が弱まっている現状に、あらためて危機感を示した。

東京などで感染者が相次いだことから、大都市への人口集中を「『進歩』とか『経済効果が高い』とか言ってきたが、逆に危ないことがはっきりした」と批判。多くの人が同じように通勤し、机を並べて仕事をするという「当たり前とされることが変わればいい」とし、「もう少し人が分散した方がいいという思いを強くした」と話した。

 

養老孟司さん「コロナで常識変わる」 自粛などに警鐘<コロナを生きる>

 

〜〜引用ここまで〜〜

 

 

その昔、昭和とともに成長した者にとって社会科の授業で学んだ第一次産業第二次産業第三次産業の様相は、気が付くと大きく変わってしまったのが現代だ。

 

一般的には、第一次産業にも第二次産業にも該当しないものが第三次産業として分類されていて、主として小売りやサービス業が該当すると教えられていたと記憶に染み付いているが、現代社会では第三次産業こそが社会のメインになってることが不要不急の外出自粛で人の動きが激減したことで痛感させられた。

 

GoogleTrendsで検索可能な2004年以降で『不要不急』を見ると、

 

GoogleTrends 「不要不急」 2004年以降

 

 

2020年に急浮上したワードだとわかる。

 

さらに、『不要不急』に反応したのは、人が多い(≒多過ぎる)エリアの方がほとんどで、全国ニュース等で頻繁に見聞きしたワードだが決して全国的に同じ思いで受け止められてはいないのだ。

 

GoogleTrends 「不要不急」小区域別インタレスト 2004年以降

 

 

都市生活のせいなのか、あるいは都市への人口集中が起きる背後で進んでいたグローバル化のせいなのか、仕事を含めた生活の多くが不要不急で成り立っていたのだ。

 

GoogleTrendsの反応を見る通り、注目を浴びたのはここ最近なので、不要不急の反対語なんて誰も考えたことなかっただろうが、検索すると不要不急の反対語とは何だろうかと気にする人が2月頃から現れている。

 

 

字面から『必要』『緊急』『至急』を組み合わせて想像する人が多そうだが、ズバリを示すことばはありそうでなさそうだ。

 

反対語は不明でも、一部の医療関係者が不要不急の反対の役目を果たしてくれたことだけは分かるし、同様に治安に関する現場に立ち会う方たちも該当したはずだ。

 

そうやって考えると、不要不急の反対には必要や緊急というニュアンスよりも自分を犠牲にする(≒危険に晒す)という価値観が浮かび上がるような気がする。

 

 

現代は、不要不急で成り立っていて、危険やリスクを避けた生き方を多くの人がしたいと思ってるのだろうなと思えてくる。

 

そういえばと思い当たることに、警察関係者や消防や救急の現場の人がレベルの低い犯罪を犯す事件が報じられることがあるが、これらの人たちは本来は不要不急な仕事に従事すべきだったにもかかわらず職業選択を間違ったからなのだろうな、ということがある。

 

 

現代は、無くなると困るが不要不急なもので、圧倒的に多くが構成されている。

 

 

惜しまれつつ消えていくものは、無くなっても困らない不要不急なものなのだと思えてくる。

 

 

理由なんてなんでも良いから必要とされるということは大事だなと改めて感じる。