政治や政治家が国民をどのように見てるのかは、政策を見れば分かるはずだが、国民のためにやってるはずの政策が自分の生活に直結する印象は不思議と薄い。
そんな政策の中で、これはすべての人に関係するなということが分かりやすいものの一つがアベノマスクだった。
GoogleTrendsでアベノマスクの反応が出るのは4月1日以降だ。
表に向けて公表されたのは4月1日で、アベノマスクと呼んだのは海外メディアが最初で表記はAbenomask。
そのことを受けて、一般的な会話の中で政府が配るマスクもアベノマスクと呼ばれるようになった。
アベノマスクが、世間からどのように思われているかは皆さんご存知のことだから触れないが、アベノマスクを振り返ると、政治や政治家が国民をどのように見てるかが分かるような気がする。
詳しいことはwikipediaに書いてあるが、マスク配布が発表される前の3月の半ば頃から、首相側近の『全国民に布マスクを配れば不安はパッと消えますよ』という進言に基づいて進行していたらしい。
政治家にとって最大の関心事は次の選挙でも当選することであり、その上で自分の地位を上げることだと言われる。
そのためには、国民に支持されなければならないが、なかなか全員に良い顔はできないのだ。
この構造は民放テレビとよく似ている。
儲けるためには視聴率を上げることが最大の指標だが、だからといって視聴者を意識してるのではなく、意識してるのはあくまでもスポンサー企業。
ただスポンサー企業が、視聴者からのネガティブな反応を嫌うので、各テレビ局はその意向に忖度せざるを得なくなる。
建前上、政治にとってのスポンサーは国民一人一人のはずで投票権はそのうちの成人が持つが、税金という観点から見ると、国民一人一人という存在以外に法人という存在もあるので、納税額の多寡で影響力(≒発言力)が違っても不思議はない。
そんな影響力を持ってる個人や法人が気にする存在が海外を含めて他にあれば、目に見えない間接的な影響力が行使されても不思議はない。
日本は敗戦国であることや近年のグローバル化での目に見えない呪縛のような影響力が及んでいるはずだ。
翻って考えると、多くの一般人は影響力を持ってるようで持ってないといえるはず。
そんな中で発生したコロナウイルスだが、不謹慎ながらおもしろいのは、すべての一般人に関係する問題となり、大なり小なりすべての人が負の影響を受けてしまったことで、政治的な関心を持つ人が圧倒的に増えたのだ。
気分が悪くなるから政治的な話題から目を逸らす人も多いようだが、目を逸らしたからといって心のモヤモヤは消えないはずだ。
モヤモヤがある限り、モヤモヤは政治的な課題として燻り続ける。
今の日本では、コロナ前に政治と国民の間で成り立っていたバランスが一気に崩れているようだが、その崩れを政治の側が理解し切れていないようで、従来通りに行動しようとしてる。
次の記事を読むと、従来通りの行動とは、見え透いたような嘘をすぐに吐こうとすることだと感じられる。
すげー、有名人ですらデータに入ってない... 🥶🥶😱
— polarbear (@polarbear_2017) 2020年6月10日
引用:... 厚労省は鈍感だ。最新発表の「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向」(6月3日18時時点)では20代の死亡がゼロ... まさか勝武士の死を知らないのか。5日、厚労省に聞いた(続https://t.co/jaHujldFEC #日刊ゲンダイDIGITAL
この記事では、嘘を吐くことを鈍感と表現している。
影響力がない一般大衆に対しては鈍感な嘘でカムフラージュした情報を振りまき、私たちが窺い知れない強い影響力を持つ人々(法人含む)には敏感な嘘を吐いているのだろうなと想像できる。