今日はゲスなネタで書いてみたい。
私の中では去年の出来事になっていた東出昌大の不倫は、今年の年明けでコロナがギリギリで話題になってない頃だった。
もし、発覚するのがもう少し遅ければ実はコロナにかき消されていたのかもしれない。
そして最近の渡部建の多目的トイレ不倫も発覚がもう少し早くてコロナの恐怖に人々が怯えてる頃であればここまでの騒ぎにならなかったのかもしれない。
そういう意味では、何事もタイミングは重要であり、残酷な結果をもたらすと言える。
逆にいうと、文春はタイミングを待って案件を温め続けているはずだ。
この両者に共通してるのは、オクさんの評価が高いことで余計に反感を買っていることだ。
表面的な擁護の声はほぼゼロに思える。
だから、ことの是非を巡っての話がしたいわけではない。
一般的には不倫は男と女が対等で合意があって成立する。
対等ではなく、合意もなければ、不倫以前のハラスメントや犯罪になる。
世の中の不倫の延べ総数でいうと、当然ながら当事者となる男女は同数なので、男と女のどちらか一方が悪くて起きることではない。
世を騒がせる不倫が発覚すると、男女で反応が違うことがおもしろい。
大騒ぎになる場合は、女性の怒りや不満の声が大きいことが多く、そのような場合の感情は、相手の男性や二人の関係性に不潔や卑怯を感じて嫌悪してるように見えることが多い。
女性の場合、自分が不倫の当事者になることよりも、自分の夫や恋人や彼氏が不倫の当事者になることを気にしてるように感じられるし、さらにいうと、恋人や彼氏だと思っている相手にとって自分は浮気や二股の相手かもしれないという心配が拭えないのかもしれないと伺える。
それに対して男性が不倫に対して非難を発する場合は、『もっと上手にやれよ』『もっとキレイにやれよ』と反応することが多そうに感じるが、実際にはその人としての器の小ささをまるで自分自身の嫌な部分を見せつけられたように受け取っているかのように感じる事が多い。
つまり、男性は自分が不倫の当事者になることを踏まえて反面教師として事件を捉えようとしてるように感じられる。
一見同じような反応をしていても、男と女では心の底で思っていることは大きくすれ違っているように感じられる。