自分には縁もゆかりもない方の身に起きた不倫や詐欺や不祥事などは、知ってしまうとなぜかしら一言言いたくなる。
それが有名人であれば、言いたくなるというよりも、語ろうと思うと語れてしまうので、世間話や間を保たせる話題には都合が良いと感じがちだ。
しかし、身近な誰かの身に起きたことだと、話す相手や話すタイミングには少し神経質になるのは、言い方を間違えるとブーメランとなって自分の身に跳ね返ってくるかもしれないからだ。
知らない人からおもしろおかしく扱われてしまうのは有名人の辛いところで、有名税が課されるというのはそういうことなのだろう。
このような話題の対象になるのは、良い話題よりもゴシップであったり
失敗話やネガティブな話題の方が盛り上がるのは、無関係な自分には全く関係しない他人事のようでありながら、心の底では自分も紙一重かもしれないと感じられるからのような気もする。
『バカだなあ』と笑い飛ばしながらも、心の中で『俺も気を付けよう、他人事じゃないや』と感じた場合には、笑いながらも少なからずストレスを感じてるはず。
この場合のストレスは、『知る』ことから始まる。
『知る』と生まれるのが好奇心だが、好奇心には二種類ある。
知的好奇心と恥(痴)的好奇心。
この二つは境界が曖昧で重なる部分も大きいが、好奇心はゴキブリみたいなもので、どちらの好奇心も一つ生じたら百あると思った方が良い。
『知る』ことから生まれる好奇心は、好奇心を満たすべくさらに知ろうとすると、さらに好奇心は膨らんで行くので、一定レベルを越えると好奇心アリ地獄に落ちてしまう。
好奇心を感じたテーマを、深く掘り下げる方向に向かう場合と、サーフィンするようにどこに向かってるのかが本人にも不明なパターンが代表的なアリ地獄。
アリ地獄に落ちてしまうと好奇心の基になる『知る』ことはストレスにしかならなくなるので、『知る』ことは制御が必要になる。
『知る』ことを制御するためには、目標や目的がある方が良いが臨機応変さも必要になる。
コロナウイルスに関連して『知る』ことがストレスになってる人が大勢いて、そういう人達に対する処方箋として、ワイドショーを始めとするテレビやネットでの報道を見ないようにするというものがある。
『知る』から生じるストレスに対処するために『知らない』を選択するのは実は諸刃の剣なのだ。
簡単で分かりやすい事例としてダイエットがある。
効果的なダイエットの方法として、毎日の体重計測とそれを記録に取り続けるだけというのがある。
日々計測する体重と目標のギャップを埋めるような行動を自然と取るようになるから効果があると言われている。
今日の体重を知り、最近の体重の推移を知ることでダイエットに悪影響を及ぼす生活習慣に抑制がかかるのだが、このやり方が性に合う人にとっては、日々の体重計測はストレスにはなり辛いはず。
一方で、ダイエットには関心がありながらも、体重を知ることがストレスになる人にとっては、体重を知ることはダイエットへのモチベーションを奪うことに作用する。
体重を知ることでストレスを感じる人は、ダイエットに関してもストレスを感じたままのはずだ。
これって『知らない』ことがストレスの元凶だということになる。
ストレスを避けるためには『知る』ことに、目標や目的を踏まえての制御が必要になる。