コロナでカメラ業界がダメージを受けているということを具体的なデータを示しながら、次を模索することが大事だとアピールする記事があった。
この記事の最後は、次のように締め括られていて、それを読むと決してカメラ業界に限ったことではないなと感じられる。
「withコロナ時代」では生活スタイルが大きく変化し、生活必需品に対するニーズが高まるいっぽうで、カメラのような嗜好品に対してはその価値がさらにシビアに評価されることになるだろう。
好みや趣味を嗜好と表現する場合は、反対語は存在しないように感じられるが、嗜好品と表現するとその反対には自然と実用品や生活必需品を位置付けてしまいがちだ。
メカが好きな人の中には工具にこだわる人が多い。
究極の実用品である工具でありながら、メカ好きは工具に想いを込めたがるので、美しい工具を美しい状態で使いこなしたいと望むし、こだわりの工具を使って作業すると作業の質そのものも高くなることが多いが、それは気持ちの差が意識の高さの差につながるからだ。
そういう人にとって究極の工具だと言われるのがスナップオン社の工具。
余談だが、スナップオンの工具の反対側に位置する工具は百均の工具になるだろう。
使えば分かるが、百均の工具は作業の途中で破損したり、作業そのものをこなせない場合も少なくない、うまくいったらラッキーなくらいですらある。
徹底的に実用品であるはずの工具ですらピンからキリまであるが、最終的には作業の質を担保することにもつながるとすれば嗜好の極みのようなスナップオンが究極の実用性も実現してると言えるのだ。
趣味嗜好は、実用や生活必需の反対側に位置すると思ったり、実用や生活必需の上に位置してると思いがちだが、実際には側から見ると大した違いはなく、大きく違うのは気持ちや意識の持ちようだけなのだ。
楽や便利を求めれば求めるほど、やることなすことが全て実用や生活必需の範疇に属してしまう。
全く同じことを額に汗して手探りで作業すればするほど趣味嗜好の度合いが高まるのだ。
作業難易度や完成度の高さに、楽や便利を持ち込めば持ち込むほど趣味嗜好的な行為は実用的な行為になり、同じ作業をしても喜びが減っていくのかもしれない。
ある程度のことがこなせるようになった時に、さらにそれ以上を求める際には自分自身が変化することで活路を見出す方が満足度が高まるのではと感じる。
冒頭で紹介した記事にはカメラ業界の事情として、歴史あるカメラ誌がコロナ以降続々と休刊を発表してることも取り上げている。
多くの分野に多様性やダイバーシティが見られるということは、一つの問いに対して答えが人の数だけあってもおかしくないということを示すので、歴史や伝統が色として定着してるメディアは合う人がどんどん減ってると考えれば必然的な流れで、辞め時を探っていたところにコロナが発生したのでそれに乗っかっただけだとわたしは感じている。
趣味嗜好の充実を図りたい場合は、新しい何かを買うよりも、手持ちの必需品を使って自分自身の行動を変えることで活路を見出す方が、より楽しめるだろうなと感じる。
そういう行動を積み重ねると、今思っているものとは全く違うものに関心が移っていくかもしれない。
自分自身に予期せぬ変化が起きることはきっと楽しいはずだ。