この数日九州で続く大雨が各地で河川の氾濫を招きさまざまな被害を起こしている。
最近の大雨の特徴は、どしゃ降りが連続的に長時間続くことで、どしゃ降りが夕立やスコールと呼ばれていた時代のような短時間で降り止むものと趣を異にしている。
雨雲の発生理由はともかくとして、発生した雨雲の寿命が伸びたような現象はよく考えると寿命が伸びたのではないことが分かる。
雨雲が持っている水蒸気を雨という形で吐き出しながら陸地の上空を移動するので空っぽになれば雨は降り止むのだから。
昔の夕立やスコールが10分〜20分程度のものが多かったことを考えると一単位の雨雲が持つパワーは本来その程度なのだろう。
最近の大雨は、夕立やスコールの連続射撃であり連続爆撃なのだ。
だからだろうが少し前まで、最近のように長時間降り続く雨を表現することばは日本語にはなかったような気がする。
夕立という表現は、いかにも優雅で情緒的な表現に感じられるが、夏を示す俳句の季語で、夏に発生する突然のにわか雨を意味し比較的短時間で降り止むものを意味していた。
雨を示す古来の表現は他にもあるが、長時間の大雨を示すことばはなさそうだ。
災害級の長時間の大雨が降った場合、そのことを一言で表現することばが伝統的な日本語には見当たらないのは、そのような気象が発生しても例外的なものだったからだろう。
夕立やスコールに代わる表現としていつの頃からかゲリラ豪雨というのが用いられるようになった。
わたしの中では夕立が比較的夕方に起きるのに対して時間帯を選ばずに起きるのがゲリラ豪雨で比較的狭いエリアで発生するものだというイメージを持っている。
そして、ゲリラ豪雨に比べて時間も長くエリアも広いもので最近用いられるようになったものに線状降水帯というものがある。
いずれのことばも情緒や風情が感じられないところが最近のものだと教えてくれる。
GoogleTrendsで線状降水帯とゲリラ豪雨を検索可能な2004年以降で比較すると、
近年では2006年の夏頃からゲリラ豪雨ということばが使われだしたことが感じられるが、Wikipediaには1969年に読売新聞で用いられたのが最初だとある。
線状降水帯は、2015年の9月の台風から検索での反応が出始めてるが、前年の8月の広島での土砂災害から使われ始めていたものが1年後から定着したように感じられる。
この背景にはあまり大々的には言われてないがスーパーコンピューターの存在がある。
起きた現象を後から説明するために生まれたのが線状降水帯ということばだったのだろうが、2018年の6月に気象庁のスーパーコンピューターが更新されて以降は予測が可能になり始めている。
GoogleTrendsを見ると、訳の分からない大雨はゲリラ豪雨と括られていたものが2020年からは線状降水帯と区別され始めたように感じられる。
新しい現象を示すことばが風情や情緒を感じさせないのは、人間が地球の主役ではないことを示してるような気がする。