引越しが好きな人がいる。
かつてのわたしもそうだった。
住まいを変えることは、明確な気分一新が図れるからだ。
そう思えてる頃は、風来坊や流浪の民という言い方も魅力的に感じられていた。
大事なのは気の持ちようだと思っていた。
かつてのわたしの引っ越しの中には都落ちも何度かあった。
そんな時でも落ち込む気持ちはほとんど感じなかったのは若かったということを差し引いても、気持ちを含めてまだまだ持ってるものはたくさんあるじゃないかと思えたことが大きいような気がする。
『全部流された』、『すべて失った』。
今年の水害の被害を伝える報道で何度となく聞いた被災者の声だ。
これまでの水害でも上がっていた声だろうが、蒸し暑いこの時期にマスクをしながら語るその姿を見てるとこちらも息苦しさを感じるせいか、より感情移入してしまう。
実際にどうかは別にして、自分で自分のことを全部失った人と思い込んでしまうと、人はその後どうなるのだろうか?
よほど身近にそのような境遇の方がいない限り私たちは知らないし、報道も少ないのだ。
東日本大震災に関して少ないながらも情報がある。
全てを失ったように見える人で会っても、行政や損害保険からはまだまだ持ってる人として扱われたらしい。
一例を挙げると、津波の被害を自宅の二階でかろうじて逃れた方の場合、一階がめちゃくちゃでも、自宅が無事だった方として仮設住宅への入居希望が却下されてたらしいのだ。
一方、仮設住宅へ入居できた方も場所の希望が叶うわけでもないし、仮設住宅には入居期限もあるので安住の地にはならないのだ。
テレビ等で画面越しに見てる人は、住まいがあるだけでもありがたいと思うべきだろうと思うだろう、わたしもそうだった、しかし深層心理レベルでは、全部失っても故郷は残ってるという思いは生きるための最後のモチベーションになってることも多く、余儀なくされた引越しが最後の気力を奪うということが多数起きていたらしい。
心を病んでしまうと、身体もおかしくなる。
そうなると、最後の救いはお金などではなく気持ちが通じるコミュニケーションだけなのだが、このコミュニケーションすら阻むものが個人情報の保護らしいのだ。
余儀なくされた引っ越しで心が壊れた方を救うために、孤立させないために、誰がどこにいるのかという情報を行政に求めても個人情報の保護を盾にして教えないらしいのだ。
こういう流れで失われた命が多数あるらしいのだ。
令和2年7月豪雨と命名された今回の豪雨はまだ続いている。
最も被害が大きい球磨川流域では過去にも水害は起きているが、それでも多くの人がその地に住み続けるのは故郷だからだし、失ったものが多い時ほど故郷は捨てれないものなのだろう。
だとすれば、今回の被災者も大きな葛藤を感じることになるのだろう。
合理的に考えればこの地を離れるべきだろうと思っていても、それは外野が思うほど簡単ではないのだ。
逆に考えると、今何も被害を受けてない方は、余力のある時に行動を起こすべきなのだ。
コロナが今後どうなるか?
東京や首都圏に住んでる方は大きな葛藤を抱えてる方が多いはずだ。
今首都圏より西側で起きてる豪雨被害は、台風シーズンに昨年のように太平洋側から首都圏に上陸すれば、同じことが起こるのだ。
今年首都圏で台風や豪雨被害が起きればおそらく避難所はまるで機能しないのは明らかだ。
そうなる前に行動できる人はどのくらいいるのだろうか?
歴史は繰り返されるものなのだ!