違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『再現性』というキーワード!

プロ野球の監督として名将と呼ばれた故野村克也さんの言葉に、

 

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

 

というのがある。

 

プロ野球に限らず、勝ちや負けがはっきり出る分野ではジャンル問わず当てはまるようで、各界の人がこの言葉には感銘を受けるようだ。

 

この言葉が直接意味することに関しては今更語ることはないが、ここで使われてる勝ち負けを、他の言葉に置き換えても当てはまることが多そうという応用範囲の広さが感じられる。

 

例えば勝ちを好きに、負けを嫌いに置き換えると、

 

 

好きに不思議の好きあり、嫌いに不思議の嫌いなし

 

 

となる。

 

 

恋愛を始め、好きで結びつく人間関係はいともたやすく壊れるが、嫌いが共通事項で結びつく関係性は簡単には壊れない。

 

 

と考えると、個人的にはすごく納得できる。

 

今、納得という言葉を使ったが、納得の反対語は反発や不服が当てはまるが、この関係性にも野村さんの言葉は置き換えが可能な気がする。

 

納得に不思議の納得あり、反発(不服)に不思議の反発(不服)なし

 

 

これらの置き換えが可能な言葉の共通点は因果関係や理由の有無だと思えてくる。

 

 

そこで思い出されるのが、ビジネス寄りの値付けに関する言葉の、

 

 

高いものには理由がなく、安いものには理由がある

 

 

というもの。

 

 

事例を豊富に示せてるわけではないが、このように考えると、私たちは思考や行動に関して、自分の心の中では明らかなものを差し置いて、良い評価や高い評価を受けたいという気持ちに振り回される傾向があることに気づく。

 

 

野村さんの言葉に戻るならば、勝ちたければ負けないことを目指すべきだが、おそらく現場の選手や指導者は勝つことを目指すだろう。

 

勝ちたいと負けないの違いが分からない人や、勝ちたいという気持ちを優先する人には、負けないということの意味がよく分からないのかもしれない。

 

最後に例えた値付けの話では、多くの企業が高い価格で売れるものをと望み、そのために付加価値や希少価値をつけようと考えるが、おそらくその思考や行動の多くはピント外れに終わるはずだ。

 

しかし、ごく一部の成功事例がもてはやされ称賛されることで、後を追うことが続くのだろう。

 

野村さんの言葉や、置き換えが成立する言葉の、不思議と位置付けられるものは、他者が真似た場合に再現性が低いとも言え、不思議でないものは真似た場合に再現性が高いと言えそうだ、他者が真似た場合だけでなく本人ですら再現できないケースを追い求めることは多いかもしれない。

 

再現性が低いものを追いかけるのはなぜだろうか?

 

再現性が低いということに気付いてないからかもしれない。

 

 

そう考えているとふとおれおれ詐欺のようなケースが思い浮かんだ。

 

どう考えても再現性が高いとは思えないことなのに高い再現性を実現できてるように見えるのはなぜなのだろうか?

 

詐欺グループからしてももしかしたら決して再現性は高くないのかもしれない。

 

アプローチした総数から考えると成功率はすごく低いかもしれないが、下手な鉄砲数打ちゃ当たる、ということなのかもしれないとすら思える。

 

しかし、詐欺グループが図る再現性とは手法のマニュアル化かもしれない、と思い当たると妙に納得できる気がしてくる。

 

 

世の中で流行ってるものや普及してるものの背後にはきっと再現性という観点で捉えると気付く現象があるはずだ。

 

 

世の中には『こうすれば儲かる』的な話はたくさんあるが、再現性の高い話はきっと出回っていないはずだと思えてくる。

 

 

再現性とは共有が困難なものだと思えてくる。

 

詐欺グループがマニュアル化で成功してるとしても、マニュアル化するだけでは足りないのだ、詐欺グループの場合マニュアルに従う者は弱みを握られているので恐怖政治がまかり通ることとセットで機能してるのだ。

 

 

 

現代社会には合法非合法が混在するが、自分にとっての『できない』を排除することが『できる』へ近づくことで、その答えは自分で出すしかない。

 

ただ、そのヒントは他人と共有可能なはず。

 

入手してる情報にはヒントはあっても答えはない。

 

再現性というのは、事件や事故のようなネガティブなことを分析する際のキーワードにはよく使われるが、ポジティブなことに関してはあまり検証されずに安易に使われているようなのでそれを鵜呑みにしないことが肝心だろう。