昭和の頃までは、大企業に就職したり公務員になれば一生安泰だと世間では思われていたが、平成以降は必ずしもそうとは言えなくなった。
言えなくなったというよりも、安泰なんて退屈だと感じる生き方もそれなりの正当性があるように感じられるようになった。
決してシンプルで単純な理屈のみで世の中は動いているわけではないという側面が見えてくる。
21世紀に入ると、価値観の多様化や分散化と呼ばれる動きが出て、その分散化した多様性は脈絡のない複雑性を感じさせ、一見なんでもありな動きが増えたように感じられるようになったが、その動きは日本ではデフレや不景気とリンクしていた。
そうなると、昔のように大企業や公務員を志向する動きは強まったが、そこには昔のような安泰は感じにくくなっていた。
自分自身の動きや世間の動きを分析した際に、シンプルな原理原則に行き着くか、それとも複雑な原理原則に行き着くかという両極端に分かれるようなケースが増えたことと格差の拡大もまたリンクしてると思われる。
好きなことを仕事にしなさいというアドバイスがあれば、一方で好きなことを仕事にしてはいけないというアドバイスも存在する。
最近だとコロナウイルスがある。
コロナウイルスは、どこをどのように漂い感染が広まっているかを考えるとあまりの複雑さに頭がこんがらがってしまいとても防ぐことなんて無理にすら感じるが、両極端なもう一方にはまことしやかにコロナウイルスなんて実は存在してないという説もある。
何事もシンプルに考え、シンプルに行動する人は、反省の必要に迫られると、複雑性に対する思慮が欠けていたと感じる傾向があり、常日頃ものごとを複雑に考える傾向がある人は、反省する際にはもっとシンプルに考えれば良かったと思いがちだ。
将棋やチェスを全くしない私にとっては、これらはとても難解で複雑なものに感じられるが、心の片隅ではオセロと大して違わないだろうとも思っている。
シンプルなものをとことん突き詰めようとすると複雑な世界の扉が開きそうだし、逆も同様で、複雑なものを突き詰めていると最終的にはシンプルなものに行き着きそうに思える。
シンプルと複雑の両方の視点を意識することでバランスを意識したい。