『好き』なことが共通している人とは仲良くなりやすい。
仲良くなれそうだと思えると関係が始まりやすいが、『好き』が共通項で結びつく関係は勢いは強くても、必ずしも長続きするとはいえない。
恋愛と友情には共通点があるような気がする。
例えば恋愛の延長線上に結婚は簡単に成立するが、恋愛結婚が長続きするとはいえないことを考えると分かりやすいかもしれない。
恋愛結婚が長続きしない場合に問題になるのは、『好き』の陰に隠れて当初はあまり気にしてなかった『嫌い』に対する食い違い。
お互いの『嫌い』に関することの不一致が許容できなくなると関係が破綻することが多そう。
『嫌よ嫌よも好きのうち』ということばがあるが、この場合は好きや嫌いは一括りにされ、その反対語としては無関心が存在していて、無関心はとても強力なアンチのパワーを持っていることが感じられ、恋愛や結婚に例えるなら、結婚後に嫌いが大きくなれば離婚に向かわざるを得ないが、嫌いではなく無関心が大きくなれば、おそらく仮面夫婦として離婚せず継続可能だろう。
無関心はちょっと特殊な存在として別途扱いをする必要がある。
仕事であろうと趣味や遊びであろうと、関係の始まりは『好き』が重視されやすいが、一旦関係が始まると『嫌い』に振り回されることになる。
関係を長続きさせたいならば、『嫌い』の一致からスタートする方が有効な気もする。
似たようなことには『勝つ』がある。
現代では『勝つ』がテーマになる分野はビジネスやスポーツがイメージしやすいが、歴史を振り返ると戦争になる。
勝つことを直接目指すと、破壊力としての物量で相手を上回ることが関心事になるが、その究極が核兵器だったとするならば、結局自分の首も締めることになっている。
勝ちが簡単に得られるならば勝つことを目指せば良いが、そうではないならば、反対語の『負ける』をじっくり考えた方が良いかもしれない。
『負け』によって生じる不都合をきちんと定義できると、『勝つ』よりも『負けない』ことの方が重要だと気付けることがある。
野村監督が言った『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し』のように、勝つことを目指すと結果オーライとなり戦略や戦術の再現性が弱くなるが、負けないことを目指すと再現性が高まるのだ。
さて、少し話題はズレるが、昨日は広島の原爆投下75年だった。
戦争や平和について考えるきっかけになりやすいが、『戦争』と『平和』は対義語の関係なのだろうか?
『戦争』の反対語はというと、辞書的には明確なものがあるわけではないのだが、『平和』は違和感は少ない。
では、平和の反対語はというと、戦争は相応しいとは言い難い気がする、もちろん戦争の意味も含まれるとは思うが。
戦争の反対語を考えようとすると、戦争が起きない状況に存在するものは何だろうかと考えてしまう。
調べてみると、同じようなことを考える世間の方々は、戦争の反対語として『対話』や『友愛』や『和平』などを思い浮かべるらしい、と分かった。
ストレートなテーマほど難問化しやすい。
そんな時は悶々とするが、その反対側には何があるかを考えることがヒントになることは多いはずだ。
単純明快な問いほど、漠然とした広がりを持つ場合があり、そのために悩みが底無し沼化しやすい。
そんな時には反対語(対義語)を自分なりに定義してから考えよう!