誰もが、目指す成功のイメージを持っているかもしれない。
昔ながらの成功のイメージとしては、金持ちになるや地位が上がるや肩書きが偉くなるがわかりやすく、これらは今でも一部では根強く生きているが、そのプロセスにはブラックが潜んでいて自分が苦しむだけでなく他人も巻き込むことがわかってきた。
そうなると、従来の成功のイメージから外れたところにも成功の種があることが知られるようになってきた。
ストレスの対価として何かしらの果実を成功の証として受け取るよりも、ストレスフリーな生き方を求める人も増えている。
このような変化も多様化で括られることがふさわしいのかもしれない。
富士山の頂上に行ったら気持ちいいだろうなと、多くの人が数少ない登山道に集中すると富士山ですら渋滞が起きるし、登山道を外れて頂上を目指すと途中で滑落する危険があるし、やっとの思いで頂上に行っても、すでにそこが定員オーバーになっていれば気持ちいいどころか居心地は悪過ぎるだろう。
現代は、わざわざ頂上に行かなくても頂上がどういうところかわかるようになっていて、擬似体験は簡単にできるし、容易に想像もつく。
頂上を目標にするというのは案外陳腐でつまらなそうなことがなんとなく分かると、人と違う自分だけということが価値を持つようになる。
多様化とは、他人と被らないことが大事なのだ。
予め答えが決まってることは陳腐の極みであるということを、やたらに増えたテレビのクイズ番組を見ていて実感するようになった。
脳トレなどと世間で言われることの多くは想定されてる答えに辿り着くことを良しとしているが、やってる人を見てると脳が劣化していることがよくわかる。
劣化してる人の脳はパターン化を求め、パターンから外れると反応できなくなることが多いと、見ていて気付く。
劣化を促進させてるのが、想定されてる答えを求める際の脳の働きに起因してるのだと感じる。
こういう場合には、180度反対に正解がある。
だとすると、脳を活性化させるためには、自分だけの答えを見つけることが有効なはずだ。
そうは言っても、他人が気になってしょうがないのが人間の悲しいところ。
だから、他人がやってることを広く見渡して、多くの人がやっていない何かを見つけることに価値があるはずだ。
多様化してるとは言え、人間のやることややりたいことにはそんなにバリエーションがあるわけではないので、何をやるにしても自分流が大事になる。
他人から評価されたいと思うほど自分流は貫けなくなる。
自分流に目覚めるきっかけの一つは、ドロップアウトすることであり、ドロップアウトさせられること。
自分の意思で行動すると、思い切ったことをしてるようでも予定調和の域を脱しきれないことが多い。
コロナで、想定と違った人生を余儀なくされてる人は多いだろうが、それはチャンスでもあると気づいた方が良い。
いやむしろ神様のプレゼントだとすら言えるかもしれない!