あの曲が流行ったのは確か中学生の頃だった、中学生の部分は高校生に変えても構わないが、この手の記憶が実際には勘違いだったということは長生きすればするほど増えてくる。
今ではチョロっと検索すれば大抵のことは分かるので自分の記憶違いだと気付けるはずだが、記憶が違っていたと認めることには心理的な抵抗が付き纏う。
記憶とセットでエピソードすらあるのだが、調べると時系列的にはあり得ない組み合わせだったりする。
一つ間違いを認めると次から次に記憶の訂正を余儀なくされるとすると、究極的には『俺って本当にオレなんだっけ?』となるかもしれない。
すっかりwithコロナなライフスタイルが定着すると、去年の今頃の生活は本当は映画やドラマの記憶で、実際の自分の生活ではなかったのかもしれないと感じても不思議はない。
いろいろな指標で対前年比マイナス〇〇%と出てくると、洗脳プロパガンダかもしれないと少し警戒心が出る。
本当に信じられるものとは何なのだろうか?
このようなことを考えるのは冷房もかけずに寝転がってブログを書いてるからだと分かっている、部屋の温度は昨日と同じく35度。
このブログをさっさと書き終えたら冷房が入ってるリビングに行くつもりだ。
今日書いてることは次の記事を読んだからだ。
心理学者が解説「なぜ世間には『バカ』がこれほどまでに多いのか」 地球史上最強の大バカ野郎とは誰か
この記事の中で、人間とは『変化に弱く、思い込みがたっぷり』だと書かれてる。
その通りなのだと思う。
だからこそ、思い込みが記憶を書き変えるのだろう。
世間が老化と呼ぶ現象の多くは、思い込みなのかもしれない。
忘れてるというよりもなかったことに記憶が書き変えられていると捉える方が当たっているのかもしれない。
昔はあれが出来た、これが出来た、と記憶してるが、それも思い込みなのかもしれない。
真実とは何かを見極めるために頭を研ぎ澄まそうとするが、本当は真実なんて存在してないのかもしれない。
暑いと全てがどうでも良くなってくる。
今のわたしはバカに違いない。
それにしても暑い!