違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『なんか違う』!

努力は報われるのか?、という問いに対し禅問答的には、報われないということは努力が足りないからと説く。

 

そうすると、報われる努力とは?、という無限ループが繰り返されることになる。

 

努力とは?、という問いはシンプルだが、答えはあるようでなさそうな気もする。

 

努力で解決したいのは、希望を叶えたり、悩みを解消することだろうが、ではその希望や悩みを上手に他人にプレゼンできるかというと、多分出来ないし、そのプレゼンを聞いた人の多くは、それじゃあ希望は叶わないだろう、あるいはそれじゃあ悩みは解決しないだろうと思われる程度のプレゼンしかできない人がほとんどだろう。

 

上手に説明できない希望や悩みで悶々としてる人は思ってる以上に多いはずだ。

 

 

人間の悩みの99%は人間関係だと言われる。

 

自分の健康問題で悩んでいる人ですら、自分の健康問題が家族に与える影響で実は悩んでいたり、あるいはその健康問題で仕事やプライベートを取り巻く利害関係への影響で悩んでいたりすると言われる。

 

純粋な自分事だと思ってることの多くは、他人の目を意識してるだけということが多いのだ。

 

抽象的な言い方をすると、人間は絶対性で悩んだり喜んだりするよりも、圧倒的に他人との関係という相対性に関して悩むのだ。

 

そのような場合の対処法が心理学的なものになりがちなのは当然で、表面的な悩みに対してマジレスしても、悩んでる人の心には響かないので『なんか違う』と反応される。

 

 

このようなことは悩みとすらいえない模索のレベルでも発生する。

 

趣味はなんですか?、と聞かれると、どう答えることが自分の評価を上げるかと考える人は、自分の趣味を答えることができない。

 

次々に趣味を変える多趣味な人が多いが、この手の人が口癖のように言うことにも『なんか違う』がある。

 

字面としては大して強さを感じない『なんか違う』は、字面に反して強い失望を意味することが多い。

 

このような場合の『なんか違う』は思ってたことや考えてたこととのギャップが大きいからでもあるので、かなり理屈が介入している。

 

 

 

一方で、危機管理に関しては、『なんか違う』は命を守るために必須な反応だったりする。

 

本能的な反応に近く、それまでの人生経験を通して身に付けた理屈では説明がつかないと感じるような場合に発動される感覚だ。

 

 

 

『なんか違う』は、恋愛に関していうと女性が男性に感じるケースが圧倒的に多いのは、女性の場合危機管理として反応しているからだと思える。

 

それでも離婚が多いということは、『なんか違う』には絶対的な強さはないのかもしれない。

 

 

軽いものから重いものまでさまざまなグラデーションを描く『なんか違う』が、非常に増えてるような気がする。

 

 

そんな時代だからこそ『これだ!』と言えるものを持ってる人は幸せなはずだ。