違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

コロナ後の『24時間戦えますか?』

コロナのせいで否応なく仕事が減った人が多いだろう。

 

雇われの立場だと表面的には顕著に減ってるのだろう。

 

一方、自営を含めて経営者の場合はコロナがあろうとなかろうと24時間心のどこかで仕事のことを考えているだろうし、何かあれば仕事に結びつけようと発想してるはずだ。

 

テレワークやリモートワークで通勤から解放された雇われの立場の方は、さぞかし楽な生活(将来に対する心配はさておき)を送っているかと思いきや、テレワークやリモートワークのルールが確立してないせいで、定時を越えてした仕事の扱いが残業として処理して良いのか、それともサービス残業にならざるを得ないのかという問題がストレスになってるらしい。

 

ごく一部で起きているコロナ特需を除けば、やるべき仕事の絶対量は減っていて、代わりに仕事と称してやっていることが増えているはずだ。

 

一時的に品薄になったマスクやトイレットペーパーや消毒液などは需要は増加したとしてもメーカーや小売り目線だとトレードオフで売れない商品も出るのでプラスマイナスで見るとむしろマイナスかもしれない。

 

プラスしかない特需は限定的と言えるだろう。

 

 

 

コロナ禍での長時間労働というキーワードで思いつくことを書いているのだが、もう記憶から薄くなり始めてるかもしれないが梅雨の豪雨で被災した方々。

 

今も生活をゼロから始めるための後片付けが終わってない方が多い。

 

この方達が日々流してる汗は糧を得るという意味では労働ですらないのだ。

 

橋や道路を含めて生活インフラなど公共のものが受けたダメージ以外に個人的なダメージもダブルで発生してる方が多い。

 

家や店や作業場がダメージを受けた方々。

 

田や畑やビニールハウスがダメージを受けた農家は、土の清掃まで済ませた後じゃないと土づくりもできないので、作物作りの再開なんて先の先。

 

平和で平穏に見える人生を歩んでいるような人でも、実際には悩みや苦しみを持っている。

 

悩みや苦しみは解決しなければ24時間付き纏うので、そういう意味では24時間タダで労働させられているようなものなのだ。

 

 

自分のことを自分で決められない雇われの立場だと長時間労働に不満やストレスを感じるが、自分のことを自分で決められる立場の人は24時間態勢を余儀なくされるのだ。

 

 

このように考えると、当たり前だが人間を含めて全ての生き物は24時間労働なのだ。

 

つまり、どんな行動も全て労働なのだ。

 

仕事はもちろん労働だが、そのために遊びや休息が必要ならば、遊びや休息も労働なのだ。

 

何事もきっちりと線引きして分けたいと思う人にはストレスだろう。

 

仕事をしているように見せながら遊びや休息を取る能力がますます大事になるだろう。

 

口を開けば『忙しい、忙しい』という人は、よほど要領が悪いか、処世術として遠回しに仕事を減らそうとしてるのだ。

 

24時間戦えますか?、昔のCMでは24時間仕事をするという意味で使われていたが、現代では24時間をどのように配分しますか?、というマネージメントセンスを問うことばになっている。