なるほどと思えるツイートが流れてきた。
「怒りの感情をコントロールできないのは人格が未熟」という風潮、ちょっとよくわからない。
— フランケン(死にかけDr (@BlackSheep8270) 2020年8月27日
喜怒哀楽って、人間の情動の根幹でしょう?
「怒だけはコントロールできる」って、歪んでるでしょ。
お為ごかしは抜きにして、「怒」は強烈なエネルギー源だと思うんだよね。
大事に育てなきゃ。
言われてみればその通りで、アンガーマネジメントなることばがあるところを見ると、『怒』は厄介者扱いされてることがよく分かるが、『怒』がキッチリとマネジメントされると名作とされる各種の物語や小説や映画やドラマの多くが全く成り立たないかもしれない。
怒りが他の感情(喜哀楽)に比べて厄介とされる背景には何があるのだろうかと思っていると、次のようなことばがあった。
「怒りは誰もが経験する感情だ。怒りが重大な懸念事項となるのは、それがあまりにも頻繁に、強烈に、長い時間、発生し続ける場合だけだ。」- レイモンド・W・ノヴァコ(1984年)
これまたなるほどと思わされた。
『頻繁に、強烈に、長い時間』喜びや楽しいが続くことはあり得ないように思えるのに対し、怒りや哀しみにはそれがある。
さらに、喜びや楽しいが続いた場合、後から生じる喜びや楽しさほどよほど大きなインパクトがなければ予定調和化し不感症になりそうだが、怒りや哀しみは何度か続くと、後から生じる怒りや哀しみほど小さなインパクトでもさらに重くのしかかってくるように作用する。
アンガーマネジメントが生まれた背景には、怒りが慢性化して世間に溢れたからと考えると、そこには時代性が感じられる。
穏やかそうに振る舞っている人ですら、腹の底にはグツグツと沸る怒りがあるかもしれない。
では、怒ってる人は何に対して怒っているのか?
怒りが爆発するための引き金になる出来事はあるにしても、その結果以前から溜まっていたメタンガスのような怒りの蓄積が一気に爆発すると、自分も含めて周りにも大きな害を及ぼすようになる。
怒りは燃料であり兵器なのだ。
上手に使わなければならないし、上手にコントロールされなければいけないのだ。
怒りが厄介なのは、極めてパーソナルなものなので、真の共有や共感が実は困難なのだ。
社会に共通する出来事に対して、怒りを感じるのが多数派で、それが政治に関係してる場合でも簡単に改善できないのは、多くの人の怒りがバラバラなままで一体化しないからだろう。
怒りは強力な燃料であり兵器なのだが、それだけでは食べることができないのだ。
怒は有効活用するためには別のものに変換する必要がある。
2014年に青色発光ダイオードでノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんは次のように語っていた。
偉い人たちに『お前はカネの無駄遣いをしやがって!』と、けちょんけちょんに言われ頭にきて、『青色発光ダイオードをやらせてくれ』と言って、OKが出ておカネをもらえた。怒りを原動力にしたら青色発光ダイオードができた……(中略)……私は四国から出たことがない。高校まで愛媛で大学は徳島大学。卒業したら徳島の田舎の企業に就職し、今カリフォルニアに来ている。好きなことを選んで情熱を持って仕事をすればノーベル賞をももらえる。私をいい例にすればいいと思います。学歴とか関係なく、本人のやる気がいちばんだと思います。
このことばを額面通りに信じるならば、怒りは好きなことに変換できると良いのかもと思える。
怒りを感じた時は、その矛先を直接相手に向けてはいけないのだ。
現代では怒りに起因するさまざまなトラブルが日常茶飯事だが、そろそろ学習した方が良いかもしれない。
怒りは正義感や正論と結びつきやすいが、それは愚か者のリアクションなのだ。
怒りが原因で起きるトラブルに正義感や正論で反応しても外野の観客を楽しませるサスペンスエンタメにしかならないのだ。
怒とはとても不思議なもので純度が高い。
恋愛で相手に愛してると伝えるそのことばの純度の薄さに比べたら、怒の純度には混じり気が感じられない。
純度が高いと水も毒になる。
怒に限らないかもしれないが、純度が高い感情は狂気であり凶器なのだ。