資格で食える職業の最上位に位置する弁護士や医師ですら食えない者が出ているという話はよく聞く。
特に弁護士は、2002 年 3 月 19 日に閣議決定された司法制度改革推進計画で司法試験の合格者を増やす方向にシフトして、急激に弁護士の増加が顕在化したという背景もある。
次のツイートは東大の医学部出身の方のもの。
弁護士の平均年収がたった6年間で40%も減ったのは衝撃。
— 理三 (@__uts3) 2020年9月2日
(2008-2014年で1200→693万円)
どんなに専門性の高い士業でも、供給が需要を上回るとどんな悲劇が待っているかについて、
悲しいかな文系トップの資格である弁護士業界が示してくれた。
このままいけば医師も決して例外ではない。 https://t.co/fC0tzYp0Mc pic.twitter.com/e7D9OPFE8b
あらゆるビジネスに共通する要素として、儲けたいならば、需要に対して供給が不足してることに携わるということ、というのがある。
そのような分野に関しては、ノウハウの共有が進んでいないことが参入障壁になるので需要を独占できるから儲けられる。
弁護士の場合は、司法試験が超難関であることが大きな参入障壁となっていたので独占できていたが、そこが緩和されると大きなパイだと思われていた市場は、思っていたよりも小さいことが発覚し、少ないパイの奪い合いになるのだ。
そして、ただでさえ少ないパイの中でも美味しいパイは新規参入者にはそもそも手が届きにくいので、奪い合いが起きるのは不味いパイを巡ってなのだ。
街中や住宅地に熊やイノシシが現れることが増えた背景にもたぶん同じ理屈が働いているはず。
開発して人間の領域を増やしたことで、領域を奪われた野生動物とパイの奪い合いが顕在化してるのだ。
パイの奪い合いが起こる現場では、出会う必要がない者同士の出会いがあり、その出会いは奪い合いになるのだ。
現在の社会では、あらゆる分野で買いたい人に対して売りたい人が多過ぎる。
奪い合いという観点で捉えると、お金を持っている人からお金を奪う行為がビジネスと呼ばれている。
“欲しい”という需要を満たすのが本来の供給が果たす役割だが、現代の供給側にどこまで“欲しい”という需要に応える気持ちがあるのかは疑問が大きい。
そもそも、需要の大元にあるはずの“欲しい”が希薄になってるようにも感じられる。
だとすると、供給する側は需要に応えたいと思いながらも、需要とは直接結び付かないものを供給するようになるだろう。
結果的に、売買が成立してる現場でもミスマッチは頻繁におきてるだろうと想像できる。
恋愛や雇用のような一致が得られることが重要な場でも、仲介システムを介した表面的なマッチングというミスマッチが頻繁に起きてるはずだ。
さまざまなミスマッチが起きてるであろう現場を想像すると、人であろうとものであろうと、完成された既製品を求めてるということに原因があるのかもと思えてくる。
現場に応じた微調整程度のことが、とても高いハードルとなっていて許容できなくなっていて、微調整されたものが新たな商品やサービスとしてリリースされているので、人もモノも似たようなものだらけになってしまっている。
そんな流れに反発するかのような動きが、広い意味でのDIYに感じられるが、一部で流行ってるという扱いにとどまっている。
DIYには、自分なりの工夫が必須。
つまり、人の数だけ需要があり、供給されてるものは材料として手や手間を加えることで対処することになる。
需要はあるけど供給が少ないものはなんだろうかと考えたからこそ商品やサービス(この中には人材も含まれる)は充実したが、その結果世の中は帯に短し襷に長しなもので溢れるようになった。
そして、たくさんあるのに欲しいものだけがない、となった。
弁護士や医師の話に戻ると、高い専門性を身につけた人に全く一般人としての汎用性がなく、時には常識すら通じないことが珍しくなくなっている。
供給過多が増えてる現代に、新規ビジネスを考える際に需要と供給の関係性に捉われ過ぎるとますます需要から離れていくような気がしてくる。