幼稚園や小学校までは、正しいことを正しく教えようとするだろう。
そこで教えられる正しいこととは、法律的にも道徳的にも正しいこと。
しかし、成長とともに正しいことには裏があることが自然と分かってくる。
小説や映画の世界では、警察が悪の味方をする話は多い。
『警察』を、『政治』や『法律』に置き換えても成り立つ話も多い。
小説や映画のように正論が通用しない(≒正義が勝つとは限らない)ことが現実社会では多いし、実際に起きても不思議だとは感じられない。
なぜなのか?
一般的には大人の事情という言い方で収められる。
正直者がバカを見る、というような大人の事情もある。
子供には本当の理由を言えない場合や、言ったとしても子供には理解できない場合に使われることが多い。
正論がまかり通らないという意味では大人の事情は、悪いことのようだが必ずしもそうとは言えない。
Wikipediaには、大人の事情は大人の都合だとも書いてある。
大人の事情や大人の都合に振り回されるのは子供だけではない、むしろ大人の方が多いくらいだ。
大人の事情や都合に振り回される大人の存在に想いを馳せると、振り回す側が強者で、振り回される側が弱者だと気付く。
権力や財力を持ってるのが強者だと思いがちだが、バカにできないのがずる賢さの差(格差)。
この差が、正直者がバカを見るにつながるのだ。
ずる賢い人間は、目先の利益を追い続けてるだけなのだが、これがなぜか効果があるのは、世の中の変化のサイクルが速いことが理由かもしれない。
世の中の変化を波に例えるならば、私たち一人ひとりは良い波を待っているサーファーになる。
良い波が来たぞと思えても、その波を狙うのは周りにいる誰にとっても良い波であり、その波には一人しか乗れない。
さてどうするか?
周りの人たちを押し除けてでも一人波に乗ろうとするのか?
周りの人に波に気付かせないようにするのか?
他の人が乗り損なったのを見てから乗ろうとするのか?
最近の世の中を見てると、ずる賢いという処世術はもっと注目されても良いのかもしれないと思えてくる。