違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

全ての人は何らかの病気を患っている!?

誰でも、自分が見聞きしたことにしか反応できない。

 

想像したり、空想したりすることでも、純粋に自分の脳内だけから生まれてるものなんてほとんどないはず。

 

見聞きしてることに大きな差がなかったとしても、それに対する反応は人それぞれなのは、当たり前だが一人一人が違うからだ。

 

宇宙人から見たら地球人は皆同じ顔をしてるようにしか見えないとしても、実際には一人一人が皆違っているのだ。

 

 

だからだろうか、違い方は分類の対象になる。

 

一定の範囲を普通や正常と定めたら、その前後左右上下は異常とされる。

 

異常はさらに、優れてると劣ってるに分類される。

 

ちなみに機械や工作物等では優れてる側にズレてるものはクレームの発生が起きないはずなので異常という扱いは受けないはず。

 

 

本当に一人一人が違っているならば、人間を分類するということは不可能だし無意味なのではないかと思えてくる。

 

一定の尺度を適用した場合、超劣ってる状態から超優れてる状態まで無限(実際には存在する人口分だけ)のグラデーションを描くのではないだろうか。

 

グラデーションの中間に近いところがほぼ同じに見えるから、便宜的に普通や正常という概念が通りやすいだけなのではないだろうか、と思えてくる。

 

このようなことを思ったのは次のツイートがきっかけだった。

 

 

 

タイムラインを流れてきたこのツイートの意味は全く分からなかったのだが、なぜか素通りする気になれなかった。

 

分からなかった理由の大半は、用語が分からなかったからだ。

 

そこで調べてみた。

 

ASDとは自閉症スペクトラム障害。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/自閉症スペクトラム障害

原因については現時点では脳機能の変異とされているが、親の子育て能力は関係しないと判明している。ASDは他の神経発達症と同様、一般的には治療法は存在せず、一生続き、治療より療育や支援に重きが置かれる。治療のゴールは、中核症状および関連症状を最小化し、さらに患者のQOLを最大化し患者家族のストレスを軽減することに置かれる。

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/カサンドラ症候群

アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じるという仮説である。

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/アスペルガー症候群

特定の分野への強いこだわりを示し、運動機能の軽度な障害が見られることもある。

 

 

ここにはイメージを持ちやすい図も載っていた。

 

 

アスペルガー症候群 ⑴

 

アスペルガー症候群 ⑵

 

 

なんとなくの不調に対して病名が適用されると、その不調は病気として扱われるようになる。

 

私にとってのそんな代表格は花粉症やアレルギーだ。

 

同じ理屈が、〇〇症やXX症候群と呼ばれるものに広く当てはまりそうだ。

 

 

情報が増え、その伝達法や入手法が多様になると、身近にそんな人がいなければ考えることすらなかったことに気付かされることがある。

 

気付いてしまうと他人事とは思えないということにも気付く。

 

 

そこで冒頭のようなことを思ったのだが、コロナ禍の現在ではマスクをしてない人に対して恐怖や嫌悪を感じることにもきっと病名が付くのだろうなと思えてくる。

 

コロナ前には、何もないのにマスクをしてる人に恐怖や嫌悪を感じることが自然だったように感じるが、人間の価値観なんてキッカケ一つで簡単に変わるのだと気付くと、全ての人間には何かしらの病名が当てはまるんだろうなと思えてくる。