違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

冴えないおじいさんを重鎮にする忖度と根回し

政治の世界では、どう見てもただの冴えないおじいさんにしか見えない言動をする人が妙に実力者だったりして影響力を行使する。

 

今朝見たものだけでもこんなものがあった。

 

 

鈴木大地氏の知事選出馬困難に 森喜朗氏から鶴の一声

来春予定の千葉県知事選を巡り、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会長の森喜朗元首相が28日、自民党県連幹部と面会し、前スポーツ庁長官の鈴木大地氏(53)の擁立に反対する考えを伝えた。

 

 

西村担当相の正月休み延長要請が自民に波紋 「解散戦略に影響」

新型コロナウイルスの感染防止のため西村康稔経済再生担当相が正月休みの延長や分散取得を要請したことを巡って、

(中略)

二階俊博幹事長は「休暇は解散とは関係ない」と火消しに回っている。

 

 

 

 

この二つの出来事に解説を加えるならば『逆鱗に触れた』や『根回しの不足』となりそうで、こういう風に説明されるとなぜか『それじゃあしょうがないね』という雰囲気が出来上がる。

 

逆鱗に触れたり根回しの不足で、簡単にひっくり返るようなこととは、別の言い方をすると逆忖度が起きたと言えそうだ。

 

忖度して欲しい人物が、忖度が足りないときにヘソを曲げるのが、私が言うところの逆忖度だ。

 

極めて日本(人)的だと感じられるので、一般人の生活にも浸透してるはずで、そのようなニュアンスが漂うものを最近のTwitterから探してみた。

 

 

 

 

 

 

日本では、忖度や根回しに配慮することは政治的と表現される。

 

政治の世界(結果的に官僚の世界も含まれる)が根回しや忖度で溢れているのは日本の宿命であり運命で、簡単には変われないのだ。

 

今年の春、コロナの対応をめぐって一気に株を上げたのが大阪の吉村知事。

 

その手腕に対して、忖度や根回しをしないと評する声も上がっていた。

 

 

 

 

冴えないおじいさんに対して、切れ味鋭い若手とも感じられた。

 

 

しかし、忖度や根回しが足りない言動は諸刃の剣になるのが日本なのだ。

 

 

吉村知事 ポビドンヨード発言で「痛烈に批判されて、袋叩き」 8/19(水)

 

 

 

コロナの対応でポイントを重ねたように見えた吉村知事は、忖度や根回し無しで稼いだポイントの逆襲を受け始めることになる。

 

地域への配慮や対策もなく地元の病院をコロナ専門にしたことで、地域の一部住民へ大混乱を巻き起こしていたのだ。

 

 

 

 

政治が機能不全に陥るときには政治家や官僚の間で過剰に忖度や根回しが行われるが、その結果やツケは末端の現場に回ってくるのだ。

 

末端の現場への忖度や根回しが全く行き届かないのだ。

 

 

忖度や根回しがなぜ機能するのか?

 

ひとえに現場が独立してないからだ。

 

日本的な理屈が根強い現場では、重要事項の決定は必ず現場を知らない上部組織や上部機関に委ねられる。

 

だからこそ忖度や根回しが求められるし、忖度も根回しも下から上に向けて行われるのだ。

 

 

そうすると、冒頭の疑問に行き着くのだ。

 

そんな忖度されたり根回しされたりする頂点に位置する人物がなぜ冴えないのかという疑問だ。

 

 

お芝居が浮かぶ!

 

そうだお芝居なんだ。

 

脚本や台本があってそれを演じているのだ。

 

冴えないおじいさんはきっと監督であり演出家なのだろう。

 

忖度や根回しとは、監督や演出家のOKをもらうためには必要なのだ。

 

 

みんな、自分に割り振られた役割を演じているだけなのだ。

 

政治に限っていうならば、選挙はオーディションみたいなもの。

 

 

芸能界や映画界を思い浮かべると、日本とアメリカのオーディションは全く違う。

 

 

どんなに有名で実績や人気があろうとも一切の忖度も根回しも通用しないのがアメリカなのに対して、日本ではオーディションをする前から誰が選ばれるかすでに決まっているという。

 

 

政治の世界では、日本では冴えないおじいさんが忖度と根回しの役割分担で重鎮の座に収まるのに対して、アメリカでも大統領選でおじいさんの一騎打ちが展開中だが、こちらは忖度や根回しなしの一騎打ちだし、冴えないと思われたら即敗北という緊張感が感じられる。

 

 

冴えないおじいさんが重鎮に居座ってる限り、日本はいつまでもガラパゴスに違いない。