政治家の力はことばの力だと言われる。
もちろん最終的には言ったことを実現する力が問われるが、
入り口やスタートでは常にことばの力が問われる。
つまり、折に触れてのスピーチや答弁が重要なはず。
そこで日米の新リーダーを比べてみた。
まずはアメリカのバイデンさんから。
おじいちゃんに任せて大丈夫かと言われながらも、内容も口調も力強いことが私の目には印象的で、悪くないんじゃないかと感じられる、あくまでもスピーチレベルの話ではだ。
バイデン当選を受けバイデンと安倍晋三のスピーチを並べるものがTLに流れてくる。アメリカは「自分に投票しなかった人のためにも働く」といったバイデンを選び、われわれ日本は「こんな人達に負ける訳にはいかない」と叫んだ安倍晋三を8年間据え置いたことは忘れないでおきたい。
— ナスカの痴情ェ (@synfunk) 2020年11月8日
こういう場合、部分を摘んで語るのは良くないと言われるので、全文に興味がある方は以下を参考に。
バイデンのスピーチの全文はここで読めます。
— 竹田ダニエル 🇺🇸🇯🇵🎧 (@danielle_takeda) 2020年11月8日
「選挙戦が終わった今、民意は?我々の使命は何か?
私はこう思います。アメリカ人は、良識とフェアネスを力を結集するよう、私たちに呼びかけています。科学の力と希望の力を結集して、この時代の様々な戦いに臨むのです。」https://t.co/m1EvW0mmkl
一切の前提を無にして聞くバイデンさんのスピーチは素晴らしいものに感じられた。
このスピーチにケチをつけるとすれば、なんらかの前提や先入観を介入させる必要があるはずだと思えてくる。
ANNがアップしてるバイデンの勝利宣言スピーチ動画。低評価が高評価の3倍って、日本人いったいどうしちゃったのよ😭https://t.co/ztnf0fWXDu
— 香山リカ (@rkayama) 2020年11月8日
一方、日本の新総理の菅さんはというと、官房長官時代のあしらいの巧さからは想像できないくらい滑舌が悪く、抑揚もなく、論旨不明な答弁やスピーチを披露している。
菅首相ベトナムでASEANをアルゼンチンと誤読 2020年10月19日
首相は「目覚ましい発展を遂げてきたASEAN」と言うべきところで「アルゼンチン」と述べ、直後に正した。誰もが適切に医療を受けられる「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)」の意義を訴えるくだりでは、カバレッジを「カレッジ」と発言し、そのまま訂正しなかった。
菅総理の答弁で圧倒的に不足しているのは「言葉」。何を聞かれても、知りません、わかりません、お答えを差し控えるだけ。どの答弁も短く中身がない。言葉を尽くして国民に伝えようという熱意が感じられない。官房長官の時は守りの答弁であったが、総理になってその後ろに何もないことがわかってきた。
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) 2020年11月6日
内心ガッカリしてる人は多いはずなのに、
菅内閣を「支持」 1ポイント上がり56% NHK世論調査 #nhk_news https://t.co/RkwdC4olRJ
— NHKニュース (@nhk_news) 2020年11月9日
と、支持率は堅調に推移してるのだ。
この結果から想像できることは、
- 調査が間違っている、もしくは偏っている
- 日本人は首相の発言など気にしていない
と、なりそうだ。
調査が間違ったり、偏ったりすることは、報じるマスコミの側の問題でもあるが、そこに存在するであろう意図を推理し始めるとキリがなくなる。
首相の発言など気にしてなさそうな日本人が、支持する理由としてあげる理由で最も多いのが『他の内閣より良さそう』『人柄が良さそう』であることは、誰がやっても同じという諦めに似た思いも感じられそうだ。
ところで、日米の政治のリーダーのスピーチや答弁を見てると、日本では自分のことばで語っていないことが多いと気付く。
官僚やスピーチライターが原稿を作っているとしても、スピーチには個性が出てるようには感じられない、出てくる個性と言えそうなものは強いていえば喋り方だけだ。
だからこそ、滑舌や間や抑揚は大事なのだが……、おそらくそこはどうでも良いと感じてそうだ。
日米のリーダーの違いは、おそらく国民性の違いに由来するのかもと思うと、それって狩猟民族と農耕民族の違いかなと思えてきた。
日本人は農耕民族で、欧米人は狩猟民族という言い方をすることが多いが、それが正しいかどうかは別にして、日本の場合、農耕民族ゆえに士農工商という身分制度が生まれたとすると、欧米の狩猟民族の人種問題と対比できるのかもしれないと感じる。
日本人には、お上に逆らってはいけないという意識がDNAレベルで染み付いているとすれば、誰がお殿様や総理大臣であろうととりあえず受け入れるのかもしれない。
そうなると、裸の王様に対して『王様は透明な服を着ています』と言うことに躊躇しないだろう、つまり忖度だ。
人類が狩猟民族から農耕民族に変化したことを、私たちは文明化(進化)と捉える。
— Yuki Tsubaki@やさしい英語ニュースYouTube (@TsubakiYuki1229) 2020年11月8日
でもハラリさんを始め、今年出会った数人のインテリ著者が「狩猟民族時代の方が人類は平等で自由だったんじゃないの?」と言っていて、考えさせられた。
かといって、私達は原始時代にはもう戻れない。
日本人は、農耕民族だから平和主義者が多いというが、本当は支配されることに甘んじる体質なだけかもしれない。
農耕民族と狩猟民族の大きな違いに生活スタイルがある。
農耕民族だって狩猟をすれば、狩猟民族だって作物を育てることはあるかもしれないので、きっちりとふたつに分かれるわけではないだろうが、農耕民族は定住が基本になり、狩猟民族は獲物を求めて移動する。
地震や津波や豪雨による水害などで家だけでなく地域全体がダメージを受けている様子を見ると、気の毒で気が遠くなるような気がするのは定住意識が強いからだろう。
日本人の価値観もずいぶん変わってきてるはずだが、意外と多いのが農耕民族的で定住意識の強さかもしれない。
このようなあまり自覚を伴わない深層意識に動かされているのが人間だ。