本末転倒ということばは由来を調べると、本山の寺院の立場が末端の寺院に追い抜かれてしまうことから来ているらしく、そう言う意味では起きた結果だけ見ると下克上に近い気もする。
しかし、現代ではおそらく気分で使われているし、気分で理解されてることばになってるはずで、正しい使い方かどうかはあまり問われてないように感じられる。
本末転倒の事例としてこんな話題があったが、これなどは分かりやすい使い方だと感じられる。
イヤホン落下が急増で駅員悲鳴… 起死回生案には疑問の声「自動ドアのタッチしてくださいと変わらない」
落下が急増するにあたって、ワイヤレスイヤホンを落とさないために、ワイヤレスイヤホンをつなぐコードが売れているという…、
…千原ジュニアは「自動ドアのタッチしてくださいと変わらない」と話し、“ワイヤレスイヤホンをつなぐコード”の本末転倒ぶりを指摘した。
ところで、この場合のワイヤレスイヤホンに対してそれをつなぐコードというニーズが生まれることは、リスクに対するリスクヘッジになっていることに気付く。
ワイヤレスイヤホンを例に挙げながら考えると、有線イヤホンだとコードが邪魔だと感じることやコードがぷらんぷらんしてカッコ悪いと言うことを解消したいというニーズと、作る側からすると技術の進歩や実用化の実現という、両立が必要になる。
それ以上のことは、市場の反応次第だ。
ワイヤレスイヤホンの欠点としては、失くしやすそうとは当初から指摘されていた。
しかし、失くしやすそうであることは、商品としての欠陥だとは考えられていなかった。
それを補ってあまりある魅力があると思う人しか使わないだろうからだ。
つまり暗黙のうちに、使う人はリスクを受け入れているのだ、もしくはリスクに全く気付いていないかだ。
事故やトラブルが起きて初めて、リスクがあったことに気付いた人もいるだろうし、リスクは理解していたが自分が見積もっていた以上に高い確率だったと気付かされた人もいるだろう。
リスクとは、欠点というよりも、魅力やメリットのトレードオフであることが分かる。
トレードオフの関係は、本音と建前のようでもある。
悩みを悩みだと気付いてない人はいても、悩みのない人間はいないはずだと思えてくる。