カメラ業界で起きてることを導入部として始めてみたい。
ニコンが赤字転落、「カメラ不振」で迎える難所 人員削減や生産拠点の集約などリストラを加速
2019年のデジカメの世界総出荷台数は1521万台で、ピークだった10年の8分の1に縮小。2020年はコロナ禍も加わり、1~9月の世界総出荷台数が前年から約半減している。
もっと内訳の推移が分かるデータを探すと次の記事が目についた。
http://naha000.hatenablog.com/entry/2017/04/22/082728
スマホが影響してることは明らかだろうが、グラフ化したものを見ると出荷台数レベルの市場規模が圧倒的に違うことが分かる。
一般論でいうと、カメラ市場の衰退は、スマホのスペック向上の結果カメラは別途必要なくなったということであり、売れてるのはスマホでは役不足な用途を持ってる方に対してだけということだろう。
この中には、撮った写真や動画を加工したりネットやSNSへアップする手軽さも関係してるとすれば、この作業はカメラ本体だけではできないという主客転倒も起きている。
そして、これもバカにできない要素だと思えるのが写真や動画を撮ってる姿の違いだと感じる。
スマホでの撮り姿は日常の風景に溶け込むのに対して、レンズの大きなカメラを構えてる姿は日常の光景としては違和感を感じさせる、この違いは大きいはずだ。
重い軽いの違いよりもサイズの違いも大きい。
ポケットに収まるか、バッグが必要か、動きの自由度に関係するのだ。
そんなカメラを趣味とする世界は沼と呼ばれる世界で、ハマり込んだら散財させられる世界の代表格だった。
写真撮影が入り口だったはずなのに、いつしかレンズをはじめとしたハードウェアに興味が移り『あれが欲しい、これが欲しい』が止まらなくなるとともに、引っ込みもつかなくなるのだ。
レビュー系のYouTubeを見るたびにそう感じてしまう。
この沼から目が覚めた人や、ハマった人を冷ややかに見てる人にはスマホで十分なのにと思えてしまうのだ。
お金をかけないで知恵と工夫で対処することに意識を向けるとまた違った楽しみ方ができるのだろうが、メーカーサイドからするとそうなったらますます辛くなるだろう。
同じような趣味の沼としては車とオーディオも王道だった。
どちらもかつての勢いは無くしている。
先に勢いを無くしたのはオーディオの世界で、このきっかけの一つが小室哲哉サウンドのせいだと言われている。
小室哲哉が流行ってる時代の中高生は廉価なラジカセでその音楽を好きになっていたのだが、そのことを意識した小室哲哉はレコーディングにおけるサウンドチューニングを安物のラジカセに照準を当てたため、この時代の中高生は大人になっても音に対するこだわりがないと言われている。
その後2000年前後から高価なCDプレーヤーを使うよりもPCでリッピングする方がはるかに音質が優れてることが知識として広まり始め、同時にノーブランドの安いデジタルアンプが高価なアンプを上回る音を出せるということも広まり始めた。
趣味の沼は、趣味の競い合いというよりも、どんなハードウェアを使っているかで競い合う不毛の戦いを展開していたが、質にこだわる人からは高価なハードウェアを揃えてる王様のような人が『王様は裸です』とバレてしまったのだ。
車の趣味も似ているが、こちらは道路交通法という鳥籠の中にいるので、取り締まりの高度化や、いつでもどこでも映像で証拠が捕捉される時代になると、熱狂から冷めやすくなるだろう。
趣味の世界は本来は創意工夫の発揮が競われる場のはずだが、うっかりすると本末転倒な物欲の世界になりやすい。
日本のものづくりに欠けているのは、趣味性へのアピールがないことだと思える。
そうなったのは、ものづくりの現場に携わる人たちに心の余裕がないからだろうと思えてくるとともに、実用性や合理性でもピントが外れていて、本当は売れるものが作りたいのだろうが、何が売れるかは分からない、だからと言って作りたいものがあるわけでもない、この中途半端さが課題なのだろうと思えてくる。
日本の文化には、ガラパゴスと言われる分野と、クールジャパンと呼ばれる分野がある。
政府が呼ぶクールジャパンはともかく、海外がクールジャパンと認める分野は合理性ではなく、その魅力で人を集める力がある。
物欲が高まり出したら、本末転倒に向かい始めてるかもと、自分の価値観に疑問を持とう!