論を展開する場合には起承転結が大事だと教えられて育つが、社会に出ると結論のみが大事になる。
プレゼンテーションでも、起承転結を踏まえた展開はダラダラとした印象を与えるとされる。
そうなった理由は、プレゼンを受ける側(多くの場合は決裁権を持った偉い人)は忙しいからであり、世の中の変化も早いので、結論だけを欲しがる傾向にある、と説明されることが多い。
ちょっと前までわたしもそう思っていたが、最近少し違うんじゃないかと感じ始めてる。
そう思うようになったキッカケは、現代では情報の入手先としてテレビや新聞よりもネットやSNSだと言われてるが、実際にネットやSNSで出回る情報はテレビや新聞およびその業界の周辺にいる人を介してのものが非常に多いと感じることから。
テレビや新聞はオールドメディアとバカにされることが多いが、実態は少し違うのではと感じられる。
このような形態以外の情報流通はそもそも不特定多数には向けられないので、一種のひきこもり情報になり、世論を形成する力は持たないはず。
つまり、なんのかんのと揶揄されながらも新聞やテレビを介した情報が直接間接に情報の主流だと思えるからだ。
そこで、テレビに目を向けると、番組の内容や質はさて置き、映像や音声としての展開を見ると、一つのシーンがごく短時間であることに気付く。
ネットを検索すると、テレビのニュース制作に関わった方の言葉として『20年前に「基本はワンカット4秒」と教わり、それは今でも変わらない』とあった。
また、
落ち着いた雰囲気が印象的な 「そうだ、京都行こう」CMでも、
2.2~3.4秒を平均に場面が切り替わっています。
https://www.digitalsignage-kure.jp/text/pg315.html
落ち着いた雰囲気ではないCMの場合、ワンカット1秒やそれに満たないシーンもざらにあり、そういう展開に私たちはずっと慣らされ続けているのだ。
きっと起承転結のありようはこの10年〜20年の間で大きく変わっていて、自覚を伴わないところで現代人の感性に染み込んでいるはずなのだ。
経営者がプレゼンで結論だけを聞きたがるように、現代の若者も答えだけを欲しがると言われる。
経営者にプレゼンを展開する者にとっては、結論も大事だけどそのプロセスの重要性もしっかり表現したいはずだが、そこは鬱陶しいと思われるのだ。
若者の悩みや疑問に答える場合も、問題や悩みの発生原因を知らなければ答えようがないはずだが、どんな場合でも通用するような万能な回答を求めるらしい。
これらは、テレビやCMやYouTubeの展開に慣らされたからこその反応ではないだろうか?
有名なYoutuberの話を聞くと、お手本はテレビやCMの展開らしいので、そういう意味ではテレビやCMに洗脳されてると言っても良さそうだ。
スピーディな展開で結論を求めるのが今のスタイルだとした場合、今後はそのスピーディさに拍車がかかるのか、それともスピーディさにブレーキがかかるのか?
否応なく社会に急ブレーキをかけさせたのがコロナだが、人々の思考や感受性にどのように影響を与えているのだろうか?
ちなみに映像の世界では、視聴者が映像の意味をきちんと理解するためにはワンカットの長さが7秒必要というのが定説らしい。
さらにこの7秒を活かすために15字程度のナレーションやテロップが有効となるらしい。
人間というのは、結構操りやすい生き物なのかもしれない。